2014年7月31日木曜日

すり足

先日の祭式研修において、   
歩行の基本として、「歩行」
の話がありました。
これが、なかなか難しい。

「歩行(ほかう)」
① 歩行を緩歩(くわんぽ)
一呼吸に一歩、平歩(一呼
吸に二歩)、急歩(一呼吸
に四歩)に分ける。この三つ
の歩み方を『徐歩』と総称
する。
② 歩み方は空足すなはち
足を挙げることなく、踵から
床をするやうに踏み出し、次に爪先を踏みつけるようして静かによどみなく足を運ぶ。

注意事項として、歩行に際して上体が前後左右に揺れたり、背を丸くしたり、
逆にそり身になったりするのは、甚だ見苦しい。

このすり足と言うのは、体の奥にある筋肉を鍛える働きがある。
上半身と下半身をつなぐ大腰筋が要となる。
すり足は、足の裏を見せないように、前傾姿勢で歩幅を狭く、ゆっくりと歩く
足の内側の筋肉に力が入る。

そもそも、この動きの起源は、日本人の着物文化にある。
着物が着崩れないように、自然とすり足になったとのこと。
それが、身体をひねらない動作になるとのこと。
面白い!

今年の夏は、この作法で、内側に筋肉を使って、姿勢正しく、動けるように
訓練したい。



2014年7月30日水曜日

昨晩の『ガイヤの夜明け』は、  
力をもらった。
「和牛」の話で、日本の少子
高齢化において、和牛の食
の量は、国内消費において
減少していくと考える中、
国内の和牛農家を支え、
永続する願いもあり、海外
へ輸出する。

その輸出の現状は、著名
ブランドである、神戸ビーフは、先駆者として世界に広がっている。これから、
世界に輸出しようとする弱小ブランドが、どのように世界に輸出していくかは、
やはり、日本の和牛統一マークを商品につけて、輸出しないと、世界の流通
網には、乗れない

その主人公の発言が、「オールジャパン」で、やっていきましょう!と大手の
伊藤ハムや日本ハムの担当者にも声を掛け、JAも一緒に進んでいく。

まだまだ、出来る!と勇気をもらう。
日本にある、日本人が持っているものを、世界に発信して、世界の方々にも
喜んで頂ける物が、まだまだ日本には、沢山あるのだと思う。
私の周りにも、私の会社にも、私自身にも、

昔、銀行員だった時、そして父の会社に入社し、アパレル業の営業マンだった時、
『いつか、自分の店を銀座に持ちたい、表参道に持ちたい』と
東京を歩きながらいつも考えていた。
それが、今銀座には、妹が、表参道には、弟が、店を出している。
販売商品、商材は、昔と変わらないが、販売方法や流通方法、消費者、お客様に
届くルートは、完全に昔とは、違っている。

夢を持ち、行動することが、実現していくのだな、と妹弟を見て、思うこと、
私もやりたい、アメリカニューヨークにもう一度住んでみたい。
夢を追いかけて、自分自身を高めて、進んで行きたい。
それは、日々の道を歩きながら、前に進むしかない。
道なき道に、自分が進み、後から道ができても良い。

昨日のガイヤの夜明けを見て、胸が熱くなり、勇気が湧く。
今の自分が出来る最大限の努力を行い続け、夢をつかむのである

「和牛統一ブランド」是非とも成功して欲しい。
世界の人々に、美味しい日本の和牛を食べて頂き、喜んで欲しいと思う。
オールジャパン、野球選手、サッカー選手に続き、日本人の持つ、神秘を
持って行きたい。

2014年7月29日火曜日

祝詞勉強会と他力本願

先日の祝詞勉強のおいて、       
龍神祝詞を勉強致しました。
今回の勉強会が、第四回目
として、完結編、最終回となり
ました。 第一回目が、
祓詞と六根清浄大祓
第二回目が、大祓詞
第三回目が、伊勢内宮神前
祝詞と稲荷大神秘文
第四回目の最終回が、
龍神祝詞でした。

私の持論として、ご自宅に
おいて、自分と神様
の向き合う場所を作り、手を合わせて、祈念、
感謝する場所、自分一人になれる場所を持ち、
出来れば、神棚を設置して、天照大御神、
氏神様、の御札を祭祀、祝詞を毎日上げる。

そうすると、日々、リセットされて、勇気が湧いて来て、さあ今日も元気に
がんばるぞ!!ともなる。 今日も有難うございました。と三省することも
出来る。

私に祝詞を教えて下さった、岐阜の御岳山の神主先生から、教えて
頂いた言葉に、『他力本願』の意味があります。

普段の会話で、「他力本願」というと、自分は、全く努力もせずに、他人任せ
という意味合いで使ってしまいがちですが、そうではなく、『他力本願』の意味は、
船に乗った時に、後ろから風を吹かしてくれる事です。

もう少し、詳しく書くとすると、『他力本願』は、我々人間が、最大限の努力を
した後、最後ちょっと教えてもらうもの。
船を準備し、沖合までは、手で漕ぎ出し、大海原に出る。食料も飲み物を積み込み
地図を読み、方向を示し、大きく帆を上げ、進むべき大海に出た後、後ろから
風を吹かしてくれるのが、『他力本願』

・船を用意することも、
・地図を出して、方向を決めて示すことも、
・帆を高く、大きく上げることも
全ては、自分自身で行わないといけません。

そのような努力が実り、大海原において、後ろから風を吹かしてくれるのが
神の力です。「神は観てござる!」です。

毎日の努力、努力と目標、夢が、大切!
自分と向き合う時間、神棚を持ち、手を合わす時間を作ろう。
三省と感謝、祈念が、幸せな充実感の日々を作ってくれます。

1年間を掛け、四回シリーズで行った祝詞勉強会も終了し、芝東照宮の宮司
様との約束も果たせ、ほっとしている状態です。ご参加頂きました、多数の
方々、ありがとうございました。

※ 上の写真は、四回目は、龍神祝詞を奉書紙に書写して頂きました、その風景です。

2014年7月28日月曜日

蝉取りと大山巌と「君が代」の歴史

今朝は、朝早くから、三男に頼
まれ、蝉取りに行きました。
朝5時に、三男が珍しく自分で
起きて、私を起こしました。

近くの公園は、木が高く、虫取り
アミが、届かないと、北の丸公園
まで足を延ばして行きました、
一匹の蝉を捕まるのに、
10箇所の蚊噛まれて、、、、
自然との戦いにやられました。

その帰りに、久しぶりに前を通り
足を止めた、大山巌元帥像。

大山巌は、日清戦争、日露
戦争で活躍した、日本の陸軍              
大将。この大山巌の話で、
私が、尊敬するのは、国歌を
選択したことです。

明治維新を経て、外国との
交流が始まった日本、国際
社会において、国旗や国歌
は、独立国として必要なもの
でした。

明治二年(1869年)、イギリス
公使館のフェントンからの質問
「日本の国歌はあるのか?」
と尋ねられ、国歌が必要と考え
た大山巌は、「国歌は、新しく
つくるよりも、古い歌から選ぶ
べきだ」、また、イギリス国歌の
「ゴット・セイブ・ザ・クィーン」の
ように「天皇の宝祚
(ホウソ=御位)の
隆昌とともに、国と
国民の繁栄を祈る歌
にすべき」
との理由から、大山は、薩摩
琵琶歌『蓬莱山』にある『君が代』
を国歌として提案しました。

『君が代』の歴史としては、
『古今和歌集』(905年)の
「賀歌(がか)」にあります。
平安時代の終わりに近い文治
元年(1185年)『古今集註』また、鎌倉時代の『和漢朗詠集』(1228年)
鎌倉時代の『曽我物語』、室町時代の謡曲にも、江戸時代には、小唄、長唄、
落語、浄瑠璃に取り入れらているそうです。

国旗掲揚の際、またオリンピックの際、ワールドカップの際、試合を勝った時に
国旗を掲げ、国歌を歌う素晴らしさを我々は体験しています。
そんな大切な国歌は、約1000年も昔から、私達の先人の生活の一部として
愛唄として、歌われていたことを、知りました。

戦後のGHQ占領軍により、国歌を歌うことが出来なかった歴史が、色々と
現在にも残っているのですね。
さあ、今日も頑張ろう!

2014年7月27日日曜日

手水の注意事項


先日の研修で一つ学んだ事    
の中に、手水の注意事項が、
二点!ありました。

手水は、神社参拝において、
欠かせないものです。
必ず、どこの神社に参拝に
行っても、鳥居をくぐり神域に
入ると、参道脇に手水舎が
あります。
手水舎には、「洗心」や「浄心」
と刻まれた鉢があり、水が
たたえられています。
ここで手と口をすすぎますが、
これは、禊を簡略化したものです。

古い神社の多くは清流の近くにあり、清流は参拝する人が禊をして身を
清める場所でありました。伊勢の神宮にお参りすると、内宮の参道の途中に
やはり、五十鈴川において手が洗える御手洗場が設けられています。

その手水を頂く際の注意事項で、一つは、柄杓の柄(え)でない部分【茶道では、
合(ごう)とも呼ばられるらしい】掬部(きくぶ)に手を付けない事。

掬部に手を付けないように、右手で柄杓を持ち、水を左手に垂らすわけです
が、その際に注意をしないさい!と言う意味です。せっかく、掬部に口を
付けず、清潔を保っているのに、あなたの手が当たるとは、どういうことか!
とお教え頂きました。

また、手水の後の濡れた手を拭く際、ハンカチを用意するわけですが、
そのハンカチも2枚用意し、一枚は、手水用として、汗などを
拭かない、一枚は、汗などを拭うハンカチとして、ハンカチやタオルも
使い分けをしなさい。と教えて頂きました。

本当に、教えて頂きますとすごく納得がいきました。

小さい頃は、母に「せっかく手水で清めたのです
から、手を拭いたらアカンよー」と教えられました
が、なるほど、、今なら母に「ハンカチを2枚に
分ければいいんだよー」と教えて頂きましたと
伝えられたのに、、と亡き母を思いました。

今日は、祝詞勉強会!張り切って頑張ります。

2014年7月26日土曜日

出船 入船

先日の研修において、草履の    
基本動作として、出船(でふね)
入船(いりふね)があるので、
注意するように言われました

靴は、脱いだら揃えるもの
それも、出かける時に、
また玄関口を美しくする為に
玄関のぼり口に草履の後ろ
玄関先に鼻緒を向けて揃える
もの考えておりました。、

草履は、その場、その場で、
脱ぎ方を変える。

ご本殿に上がる時は、お尻を           
神様に向けることなく、草履
を脱ぐ時のユウ(礼をする)も
あるから、入船で脱ぐ。

そうすると、草履を履く時も
神様に挨拶をさせて頂き、ユウ
をしてから、履くことが出来る。

通常の靴を脱ぐ時のマナーも、
この説明から行くと、本来は、
玄関口において、入船で入り
玄関上がった所において、
振り返り、出船に変えるのが、マナーと、マナーの本には、紹介されている。

下足箱においては、「ぞうりは、出船にして、揃えましょう」それが、美しいです。

なるほど、先生の仰る通りに草履の脱ぎ方、置き方、していくと、とても統一感
があり、見た目も綺麗、そして作法としても綺麗であった。
神職は、祭祀においては、数名の神職と共に行動をする。その際、お祭りに
参列されている側からも見て、美しい作法をする。 それは、統一感。
歩く時にも歩調を合わせて歩くこと、全てが美しくなる。

日々勉強である。

2014年7月25日金曜日

明治神宮

明治神宮様にて3泊4日にて    
泊まり込み行われました新任
神職研修も、本日無事終了
致しました!

人生の折り返し地点、46歳
においてのこの新任神職研修
への参加は、本当に強烈な
スパイスで、分岐点となりまし
た。

神道、神道は、『道』でした、
ちょうど、明治天皇の御製の
句のように、、、、
「大空に、そびえて見ゆる
高嶺(たかね)にも
登ればのぼる道はありけり」

高い志を持って、自分に出
来る得意分野において、神道
の大切な良さを伝えて行きた
いです。この『道』は、深く
そして高く、でも必ず誰もが
登ることができ、計画を立て、
夢を持ち、自分の天命を進む
沢山の世の人に、清き明き
心を伝える。

この教えも明治天皇御製に
ある。

「わが国は神のすゑ
なり神祭る(かみまつる)
昔の手ぶり忘るなよゆめ」

神道は、この昔から大事にしている心を次世代に伝える事がを大事にしている、
大切な教えを、ずっと、ずっと口述で伝えて来たのだと思う。その口の伝え方が
「道」なのである。 神社教ではなく、神道であるのは、そのことになる。

自分たちの得意分野で、神職自らが神道を伝えるのである。

「目に見えぬ 神の心に通ふこそ 人の心のまことなりけれ」

今回、毎朝、毎晩、明治神宮様の大前において、参拝行事をさせて頂いた事は、
一生涯の糧(カテ)であります。 

明日より、自分の天命として、沢山の幸せな家族を作るお手伝いを致します。
それが、私の出来る神道の伝導、形にすることです。頑張ります! 



2014年7月21日月曜日

祭祀にいそしむこと

今日は、「祭祀」について、考える  
時間があった。先日、読んだ本に
もその事があり、興味深く、まとめ
てみることにしました。

「祭祀」は「サイシ」というが、国語
では、「マツリ」と訓読みされる。
この「まつり」は、古典の中に六種
類ある。
・祭   (延喜式)
・祭祀 (日本書紀)
・祀   (大宝律)
・奠   (日本書紀)
・祠祀 (日本書紀)
・祀典 (古語拾遺)
そのうち、「祭」「祭祀」の「祭」は、手に肉を捧げて神に供える義「奠」酒樽を
台の上に載せて神に供える義を示す合意文字である。
神を祭って食物を捧げる我が国の祭りにこの文字を宛てたのであろう。
「祠祀」とあるのは、神を祭るホコラがあって、そこで祭る場合をいい、
「祀典」とあるのは、その祭が一定の儀式になっていることを前提としたもの。

祭の古い姿の代表的な一例を「天岩戸開き」の祭にとってみると、ここでは祭の
あるべき姿を表現している。
天照大御神の天岩戸隠りは、弟神の須佐之男命の乱暴が原因とされている。

その乱暴に対しても、大御神は、初めは、「詔り直し」の精神で、これを善意に
解釈し、一日も早く須佐之男命の回心を祈られのであるが、最後に衣織女を
死に到らしめるに及んで、それを見畏(かしこ)みて、天岩戸隠りによって、
高天原も葦原中津国も暗黒の世界となり、万の妖(わざわい)が悉く(ことごとく)
に発生するに至った。

これは神のない世界は暗黒の世界であり、万の妖(わざわい)の発生する
ものであることを意味する。その暗黒万の妖の原因は、人間が
乱暴狼籍、勝手気ままで、人の善意を無視すること
(=これが罪穢れである)、から生まれるものであることが、ここに
明らかになる。

この穢れを払いのけて、再び天照大御神のご出現
を祈願するのが天岩戸開きの祭である。

日本人社会の中では、農業することから四季があり、その四季の節目に祭をし
感謝を捧げた。日本の祭りは、実際の国民生活に関係しないものはない。
それぞれの家、家庭においても「宅神祭」として行われてきた。

明治天皇の御製に、
わが国は 神のすえなり 神祭る  
     昔の手ぶり 忘るなよゆめ

とこしへに 国まもります 天地の
     神のまつりを おろそかにすな

とあるのは、「神の恵みと祖先の恩」に感謝する「まつり」の
精神を大切にしようというメッセージである。

祭祀にいそしむことは、とても大切です、
毎日の生活において、日々真剣に
明き清きまことの心を持って、努めて参りたい。

武士社会での神社

貞永元年(1232年)8月、鎌倉    
幕府は、初代将軍源頼朝以来
の幕府政治の原則を法令化して
『御成敗式目』として定めた。

武士の世の中に成るまで、神社
の収入源として、荘園制度が
あり、地域の土地産物より神社
の収入をえていたが、戦国の世
になり、武士に領地を管理され
てしまった、神社は、上記のよう
な、武士が作った、法律で守ら
れていた。

『御成敗式目』は、従来公家の法律だった律令を、武士の習慣や実態に
あわせて作ったものになり、その後室町時代・戦国時代・江戸時代と長く武士
の法律の手本となった。

この『御成敗式目』の第一条には、神社についての項目が、出てくる、
とても興味深く、レポートします。

第一条
神社を修理し祭祀を専にすべきこと
神は人の敬によりて威を増し、
人は神の徳によりて運を添ふ。
しかれば則ち恒例の祭祀は陵夷いたさず、如在の礼典は怠慢せしむ
なかれ。これによりて、関東御分の国々ならびに庄園においては、
地頭神主等おのおのその趣を有し、精誠いたすべきなり。
かねてまた、有封の社にありては、代々の符にまかせ、小破の時は
よろしく修理を加へ、もし大破に及べば仔細を言上せしめ、その
左右にしたがひ、その沙汰あるべきなり。

<現代訳>
神は敬うことによって霊験(れいげん)
あらたかになる。
神社を修理してお祭りを盛んにすることはとても大切なことである。
そうすることによって人々が幸せになるからである。
また、供物は絶やさず、昔からの祭りや慣習をおろそかにしてはならない。
関東御分国(かんとうぶんごく)にある国衙領(こくがりょう)荘園の地頭と
神主はこのことをよく理解しなければならない。神社を修理する際に
領地を持つ神社は小さな修理は自分たちで行い、手に負えない
大きなものは幕府に報告をすること。内容を調べた上で良い方法をとる。

第一の項目にこの神社を祭祀することが、挙げられている事は、とても
大切に感じます。『御成敗式目』と言う、武士社会においての法律において、
一番最初に出てくる、神仏を大切にすることが、国の人々が幸せに成る道
と説いている。

残りの項目も合わせて51条になる。そこには、道徳や教育、家族、裁判、
刑法、所領の扱いまで、幅広く、争いごとが少しでもなくなるように
作り上げられています。

「神は、人の敬によって威を増す。」 そして「人は、神の徳によって運を添える。」
人の敬、それは、日々の祭祀の継続による。
『礼法』に書かれているように、礼には、至誠が必要です。誠の心を持ち、
祈り、手を合わること、朝一番に手を合わせ、一日の終わりにまた、手を合わす
感謝すること。
『至誠の心の礼』が敬うことに繋がります。

神宮大麻

今日から始まる、初任神職
研修の予習として、指定
教材を読んでいる中で
改めて、「神宮大麻」と
「御師(おんし)」について
記載があったので、
ここでまとめておきたい
と思います。

伊勢神宮のお神札は、
史書によれば、平安時代
の末には神宮の御師達が
全国各地でお祓ひを行ひ
祈祷をしていた。そして   
御師達は祈祷をした「し
るし」として「御祓(おはら
ひ)」を配布していた。
その「しるし」(御祓)を
人々が鄭重におまつりし、
「お伊勢さま」を遥かに
拝して信仰を深めていた

記録によると、江戸中期
には日本全国の約九割
の世帯が大麻を受けて
いたとされる。
「お伊勢さま」「太神宮
(だいじんぐう)さま」と
して広く全国から篤い
崇敬を集めて、宮中を
始め、諸大名はもとより
広く庶民にいたるまで、
「御祓」を日々おまつり
していた。

この全国を回っていた、御師(おんし)とは、どのような人のことか?
御師とは、古来より神宮に仕へた人々で、「御詔刀(のりと)師」・「御祈祷師」
または「御師匠」の語の略称とも言われている、一般的には親しみを込めて
「太夫(たゆう)さん」とも呼ばれていた。

御師たちは、全国各地へ赴き、「檀那(だんな)」や「檀家(だんか)」と呼ばれた
崇敬者の求めに応じてお祓いを行い祈祷をし、その祈祷をした「しるし」として
「御祓」を配布した。

また、檀家の参宮に際してはその便宜をはかり、自邸では太々神楽(だいだい
かぐら)と呼ばれる神楽を奏行して祈祷を行い、参宮者への饗応や宿泊等の
手配もしていました。

明治政府の体制になり、「御師の仕組み」は、なくされました。
現在は、神社庁から各神社へ配布され、それが、全国の方々の手元に
渡るような仕組みとなっています。

日本の国体の本宗、国民全体で、神宮大麻を祭祀し続けて行くことが、
子孫繁栄に繋がり、国の安泰、平和につながると思います。
祈る姿が、自分の子や孫に引き継がれていくことを、大切にしていきたい。

結婚準備

先日、「結婚準備の新定番」って
帯に惹かれて、ブライダル産業
フェアにおいて、購入した結婚
カウンセラー・牧師石井希尚さんが
著者の「Happy Wedding Diary」と
言う題名の書籍。

あ!、結婚準備と言うと、私はすぐ
に、結婚何ヶ月前から、何を
準備して、、招待状や席次表、
引出物引き菓子、衣装、美容、
ゲストのレンタルなど、、「準備物」
のスケジュール管理的なことを
考えてしまうが、この本は、違う!
結婚準備の新定番
だけあり、いわゆる、
結婚を控えた、新郎新婦へ送る、結婚式後の結婚
生活に対しての、準備の本であった!

お互いに好きあって結婚する二人であっても、子供の頃からの育ってきた環境や
それに伴い自分自身で作ってきた価値観や経験は、本当に違う。
その異なった、人間が、これから、この結婚式から、一緒に生活をするのですよ
そのためには、準備が必要です。っていう感じに書いてある本です。

結婚カウンセラーであり、牧師さんでもある著者が書かれているので、
ところどころに、男性側からの心理、女性側からの心理を細かく書いてあり
なるほどーーーと思いました。また、牧師的な、聖書の言葉も紹介されており、
すごく読み応えのある、大切な本です

この本から、少し抜粋したものを下記紹介したいと思います。

「600万分の1の奇跡」
 一組の男女が結婚を決めることは、天文学的な確率です。日本の人口約1億2千万人
 として、男女が半分とすると、6千万づつ、その内、結婚可能年齢で、未婚の人が、
 仮に10%の600万人だとしても、その中からたったひとりの人と結婚する出会いの奇跡。

「ふたりが共有しておくべき8つの言葉」
 8つの言葉は、家族、お金、安らぎ、セックス、レジャー、安定、一致、仕事。
 この8つの言葉の定義を結婚する、男女が同じ言葉の意味を持つことが大切。
 
 独身時代は「家族」といえば、自分の両親や兄弟を意味することがほとんど
 結婚すると、家族といえば、自分が作り出す「家庭」を意味することが多いはず。

 「安定」という言葉も、「生活の安定」と解釈する人もいれば「精神的な安定」と
 解釈するひともいる。
 
 これらも「言葉の意味、定義」というのが、二人の価値観というのかもしれません。

「ふたりで作る居心地のいい場所」
 人は親が作り出した家庭から独立して、「帰属の欲求」を満たしてくれる場所を
 実家とは別の場所に見つけ出していく必要があります。「ここが私の場所だ」と
 思える場所。それは、あなたがパートナーと作り出す
 新しい絆の中にしかありません。それが、結婚なのです。

「愛の三段活用」
 愛には、肉体的に愛する「エロス」、兄弟愛「フィリア」、無償の愛「アガペー」
 の三つがあります。「アガペー」は、無償の愛を意味する言葉です。
 自分の意志による選択として、代価を期待せず、相手の状態にかかわらず愛する
 という意味です。新約聖書には「神の愛」と表されています。

「新約聖書、コリント第一の手紙、愛について」
 キリスト教の結婚式において、牧師先生が、読まれる、「愛」について、
 
  愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみ
 ません。愛は自慢せず、高慢になりません。
 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、
 怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに
 真理を喜びます。
 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、
 すべてを耐え忍びます。
 愛は決して絶えることがありません。

最後の聖書の愛については、必ず、キリスト教の挙式では牧師先生が、
読上げる聖書の言葉になり、何回聞いても、何回読んでも、新鮮な
素晴らしい言葉と思います。大切な愛の教えです。

神道、キリスト教 宗教の枠を越えて、この愛と言う、真理は、一緒なのだ
と思います。神道における、「愛」とは、「至誠」また至誠からできる、「敬愛」
「優しさ」「恕」、「忖度」、、もっと神道を勉強していきます!!


 

2014年7月20日日曜日

なだ万と卓袱料理(しっぽくりょうり)

神前式の後の家族だけの会食   
や、プチ披露宴の会場となる、
老舗料亭『なだ万』
今日は、この「なだ万」の歴史を
質問受けましたので、紐解きた
いと思います。

『なだ万』の屋号は、創始者で
ある灘屋萬助の名前に由来
して付けられました。

天保元年(1830年)の創業
現在で、約180年の歴史が
あります。

長崎出身の楠本萬助(三代目)
が、当時から長崎に入っていた
中国の卓袱料理(しっぽくりょ
うり)と漢方の心得を生かして、
料理屋を大阪に開いたことに
始まります。

大正八年(1919年)、第一次
世界大戦後のヴェルサイユ
条約調印の為に訪欧した
西園寺公望公の料理番に
『なだ万』の店主(三代目
楠本萬助)が選ばれました。 
この事は、大阪における
『なだ万』の格を一層高めました。

昭和49年には、なだ万の
本店を大阪今橋より、東京の
ホテルニューオータニのお庭
の中に佇む、山茶花荘へ移さ
れています。

昭和61年の東京サミットの
公式晩餐会は、なだ万本店
山茶花荘にて行われた。(当時
中曽根首相、レーガン大統領
(米)、サッシャー首相(英))

このような世界のVIPが、食した
なだ万であるが、もう一つ、
なだ万を有名にしたものとして、
やはり、文豪の小説に出てくる
ことである。

夏目漱石の『行人』
 灘萬のまな鰹ー
 が出てくる。
森鴎外の『小倉日
 記』において「灘萬
 に飲み、灘萬の割
 烹は好し」と出てくる

なだ万のこの歴史を遡った際に出てきた、長崎の『卓袱料理』、とても気になります。
卓袱料理とは、中国料理と西欧料理が日本化した宴会料理の一種らしく、
長崎市を発祥地とし、大皿に盛られたコース料理を、円卓を囲んで食べる料理とのこと。

卓上に大皿に盛られた料理を、小鉢や小皿に自分達で、取り分け、色々な種類の
お料理を食べる形は、中国の飲茶に似ているのか? 最初にお吸い物のような
お椀に入ったスープも頂けるようです。 コース料理のように、卓上の料理が
なくなると、次々と別の料理が出てくる、コース料理のような、独特な料理は、
料理職人の腕が磨かれるのかもしれません。
そして、あの見栄えのある懐石料理の小鉢に入ってくる料理は、「なだ万」に
おいての、お料理を綺麗に見せて出すという形の基本となったのかもしれません。

料理が時代と共に変化し、日本食が、ユネスコに登録されるまでになるのは、
日本の「和」の文化が、外国から来た料理を自分の国の料理にアレンジする
力、日本力と結びつけてしまう力が、新しい料理を産み出し。
見た目にも綺麗で、斬新な味付けの料理に進化していくのか?

今回の「なだ万」の歴史を紐解きながら、日本食の変化が楽しいものと勉強
しました。



2014年7月19日土曜日

花園神社

今朝は、新宿店に出勤前に、     
花園神社に参拝に行きました

初めて参拝させて頂いたのが、
平成14年5月頃、今の新宿店
オープンの前です。

いつ参拝に来てもすごく清々
しい、境内で、新宿のど真ん中
で、周りをビルで囲まれている
ものの、すごく気持ちの良い
神社さんです

花園神社さんには、三社の
紋がお賽銭箱についていま
す。花園神社、大鳥神社、
雷電神社と合祀されて
います。                    

沿革をhpで検索すると、
花園神社は、徳川家康の
江戸開府(1603年)以前
から新宿の総鎮守として重
要な位置を占めていました

1590年より前に、大和吉
田山より勧請されたとされ
ております。

現在の場所は、徳川御三家
筆頭の尾張藩下屋敷の庭
の一部で、沢山の花が咲き
乱れていたそうです。
その美しい花園の跡地の
であったので花園稲荷神社           
と呼ばれたのが社名の由来

大正5年1月25日、改名願
を提出し、2月26日正式に
「花園稲荷神社」となる。

昭和40年に、末社だった
大鳥神社を御社殿建替と
共に本社に合祀し、雷電
稲荷と共に、「花園神社」
と改名されています。

昔の新宿のエリアの地図
を探して見ましたが、なか
なか新宿エリアは、情報が
少ないです。
新宿都庁が、もともと水の浄水場だったことも、、今はもう高層ビル副都心に
なっている。神社の沿革や変遷をたどっていくと、大名屋敷の跡に移設された
神社、川の氾濫で水害が多いので、高台に移設して、合祀、都市計画道路の
計画から、少し後ろにさがるなど、近代化と共に、変化していく。

町並みの変化と神社の社名の変更も歴史になるのですね。

神様にご祈願して、神社に参拝する際に、知っておきたいのが、神様(ご祭神様)
と神社名。  神社名にお祭りされておられる神様に、願いが届きますように。

ご由緒も知っておきたいと思います。

2014年7月18日金曜日

ネルソン・マンデラ

今朝、ブログを書こうとパソコン  
を立ち上げると、グーグルが、
いきなり、ネルソン・マンデラ
さんの絵を表に使っていた。
(アニヴァーサリロゴと言うら
しい)ちょうど、今日7月18日
が、ネルソン・マンデラさんの
生誕日。

ネルソン・マンデラは、1918
年生まれ、46歳の時、「南ア
フリカにおいて、アパルトヘイト
と言う、人種差別をなくそうと立ち上がり、1964年に国家逆罪で終身刑
判決を受ける。27年間に及ぶ獄中生活の後、1990年釈放される。
マンデラさんの活動は、白人と有色人種の差別の戦いだった
肌に色を持つ、我々日本人もやはり有色人種である。

約五百年前に、「大航海時代」が、始まり、スペインやポルトガルが、競って
世界のあらゆる国に向かった。そして、相手国に対して、軍艦を向けてのっとり、
相手国の産品はすべて自国のものとし、有色の原住民を平然と奴隷とする
「植民地政策」が行われた。やがてオランダ、イギリスなどの白色の国々が参加
して有色人種の国を次々と植民地にしていった。インド、東南アジアの国々は
ほとんど植民地とされていく、ヨーロッパの国々から見て一番東の端の国、日本が
最後の有色人種の国だった。そこへ、アメリカから黒船が来る。
日本の先人は、「このままでは、日本も植民地とされる」と気付き、明治維新にて
近代国家になる。

1914年の第一次世界大戦のおいての、日本は、勝利国となっており、パリで
行われた講和会議において、日本の要求は、領土でも賠償金でもなく、
「人種差別撤廃」であった。

日本から出国して、海外に行くと本当に、色々な人種(肌の色、髪の色)がいる事
に気づく。そして、この今の日本人の国を作り上げてくださった我々の祖先に感謝を
し、我々も次にくる世代のために、国を良くしていきたい。海外に行くと、国や民族を
すごく感じる。

マンデラさんの言葉に、「困難に挫ける人もいれば、困難で成長する人もいる。
挑戦を続け、最後の瞬間まで『希望』という武器を振りかざす罪人の魂はどんなに
鋭い斧でも切り裂くことばできない。」この言葉、困難の時でも、『希望』を忘れない
夢、志、目標を忘れない!と教えてくれている。日々頑張って働いていることが、
自分の人間としての成長に繋がり、世の人、社会の為に役立てるように、使命感を
持って、進もう! 今日もがんばろう!



2014年7月17日木曜日

ホスピタリティ

昨日は、月一回の社内研修日   
だった、先月に引き続き今回
も3時間、社員が講師となって
研修を行ってくれました。

今回のテーマは、ずばり、
「ディスニーに学ぶおもてなし
の心」。我々サービス業に
大切な、ホスピタリティの勉強
をディズニーランドさんが実践
されている具体例などを題材
に勉強しました。

研修開始から、ディズニーの
夢の世界に入り込む「オリジ
ナル席札」を頂き、テンション
が上がりました。

ディズニーのおもてなしの心           
を学ぶ為に、「また来たい!」
と思わせる
ディズニーランドの心理テク
ニックの内、7つの設問、、、
1.入場前からワクワクさせる音楽
2.ディズニーランドの入り口は1つ
  、ゲート前は少し上がり坂
3.ワールドバザール(入り口の
  ショップ街)は奥に行くほど道
  が狭い
4.シンデレラ城があそこまで
  まっ白な理由
5.アトラクション待ち時間の
  ストレスを減らす工夫
6.パーク内の音楽
7.トイレに鏡がない

これらは、どうしてこのようにされているのでしょうか?
と7問ともまともに返答出来ない私がいました、、

1⇒ 駐車場や電車駅から音楽が流れている、それは、ゆっくりなテンポの
   音楽から、ディズニーランドに近づくにつれてどんどんと早いテンポの
   音楽に変わっていく。
 ⇒ それは、ワクワクがどんどんと高まり、小走りにディズニーランドに
    向かっていく心理を作り上げている。

2⇒ 先が見えず、期待感を高める効果!

3⇒ 目の錯覚を作り、シンデレラ城が遠くに見えるようになっている。

4⇒ 白くすることにより、遠く、大きくに見える効果や空の青とのコントラスト
   になる

5⇒ 待ち時間は実は、実際よりも長く設定している、90分待は、大体、45分
   から60分で到着する。すると、お客様は、少し「得(とく)」をしたような気持ち
   になる。

6⇒ エリアごとにBGMが違う。しかもエリアとエリアの音楽を区切るために
    水辺がある。例えば、滝や池を作り、エリアを区切ることにより音楽を
    変えている。

7⇒ 人は、鏡を見ると、現実の自分に戻ってしまう。なので、全身の服装を直す
    鏡はあるが、手を洗うところにつけるような鏡はついていない。

ここまでの7つを勉強しても、本当にすごい!と思いました。
今までに、子供を連れて、4回程行きましたが、今思い返すとああ、思っていたより
もアトラクションの待ち時間は、短かったと思った、シンデレラ城が確かに
遠くに感じていたが、歩いて行くと近かったこと、様々の体験を思い出します。

すべてこれらは、ディズニーランドの設計者が、考えてそのように作り上げていたの
だと思うと改めて、すごい!!と思うし、今度もう一回行って確認しようとも思います。

「ホスピタリティ」と「サービス」の違いは、
「サービス」は、仕事においての義務
であり、しなければならない事に対して、
「ホスピタリティ」は、「おもてなし」
=自ら相手の気持ちになって、相手の立場に
立って、共に考えてあげる。
気持ち、心、言動。のことを言うと勉強しました。

実際の我々の日常業務の中において、「神前式の後のゲスト誘導における
タクシィー手配」。当初は、他社との差別化と思い、行っていた仕事、この当初は
ホスピタリティとして行っていた事が、時間が経過して、社員が必ず行う事に
なり、つまり「サービス」となり、業務となる。その業務となった仕事をいかに
掘り下げて、もう一度相手の立場に立っての仕事=ホスピタリティとして
出来るのか、それが、業務の改良、進化、改善につながる。

ホスピタリティを我々の仕事に落としこむ為に、三つの事を考えて見ようと
なりました。

一つは、ホスピタリティには「一生懸命」が必要不可欠であるとも勉強しました。
「一生懸命」そのお客様の事を考え、お客様の立場に立って行動すると
必ず、その行動は、お客様に通じる。

二つは、ホスピタリティには、「行動」+「スキル(技術・知識ではなく、それを使う能力)」
どんなにすごい知識があっても、どんなにすごい技術を持っていても相手の為を
思って使うこと、出しきらなければ、伝わらない!

具体的には、我々の仕事においては、
身だしなみ
マナー
言葉づかい
をキチンと出来ていないと、お客様におもてなしが伝わりにくい。

三つは、常に『自分の役割』を意識する。
自分の与えられた役割をキチンと果たす、そうすることにより、お客様満足や
小さな感動を生むことが出来る。それにホスピタリティをプラスするのである。
具体的には、
● ディズニーランドのカストーディアル(お掃除キャスト)
  自分の役割としてのお掃除の仕事や道案内、迷子保護などの仕事
  プラス、お客様のために、水を使って、道にミッキーなどのキャラクターの絵を描く

● ジャングルクルーズ(アトラクションキャスト)
  通常のアトラクションにおいてのセリフ、お客様を楽しませるマニュアル通りの
  セリフが言えるようになり、お客様の感動を与えるように、アトラクションの
  ワクワク感を伝えるようになった+自分のアドリブでセリフを少し返ることが
  できる、そうすることにより更に楽しいアトラクションに進化する。

今回の研修を受けて、私の接客や業務を見直す
機会を得ることが出来ました。もう一度、深く、
お客様の立場に立っての気持ち、心を受け止めて、
お客様に何が出来るのかを考え行動できるように、
日々、進化、改善、出来るよう努めたいと思います。

2014年7月16日水曜日

家族結婚式の演出

昨日は、年に一度東京ビック
サイトにて開かれる
ブライダル産業フェア
に行きました。今回も沢山
のブースが並び、来場者も
多かったように感じました。

各ブースには、衣装、美容
写真・ビデオや披露宴での
演出用品・コーディネート
アイテム、ギフト、ペーパー
アイテム、披露宴挙式予約
システムなどのコンピュー
ター系、ノンアルコールなど、
ドリンク・フード関係とブライ
ダルに関するあらゆる関連
の企業のブースが並びます。

沢山の中から、私が印象に
残った思ったもの。

・折鶴クラッカー
:これは、挙式の後、和の
フラワーシャワーの代わり
に、折り鶴のシャワーです。

・ウエルカムボー
で参加ゲストの指紋を
受付時に、カラフルなイン
クにてペタペタとつける
ことにより、ウエルカム
ボードが完成する。
少し前からある商品
だったが、下絵の種類
が増えて、ゲストの全員
参加型の記念になる物。

・披露宴・二次会
パーティー撮影
用小物これも、ゲスト
の各卓上へ新郎新婦が、
フォトサービスで回る際
に、この小物を使って、
新郎新婦と友人や家族が
お写真を撮るのも面白い!
ゲストが、参加できる提案
商品として良いと思った。

日頃、私がお手伝いするお客様は、半数が、家族だけの結婚式の方が
多いので、その会食会的なプチ披露宴に使えそうな商品に目がいってしまう

家族だけの10名~30名のお客様は、両家の家族親族だけなので、
どうしても遠慮と緊張で、盛り上がるまでの時間が掛かってしまう。

その盛り上がりを、パーティー時間のなるべく最初の方に持って来て、少しでも
長い時間、両家交流の出来る、時間を作りたい。そのために、新郎新婦を初め、
両家の家族親族の方々に、会食会、プチ披露宴に、積極的に参加してもらう
仕組みが必要となる
歌やスピーチの他に、こんなアイテムを使って、ゲストの方々に参加
して頂くことで、話題や両家のアットホームな雰囲気
が出てくる。

お二人の紹介を両家母が行ったり、兄妹が行ったり、とゲストの参加
するイベントが増えると、両家が打ち解けてくる時間が早くなる。

新郎新婦が、縁でこれから親戚となるご両家の方々が少しでも思い出に残り
温かく、楽しい、両家や親子の絆を作るお手伝い。
「いい家族だなーー」とアットホームに、打ち解ける事のできる会食会を目指す。

沢山の幸せな家族を作るお手伝い

新郎新婦を始め、お父さんお母さん、おじいちゃん
おばあちゃんから兄弟、友達すべての人に
新郎新婦の幸せの和を広げる。
幸せの和を広げるお手伝い、幸せの発信基地になる!
が、われわれの経営目的。

今日は、月一度の研修日、良い研修が出来るように、、
今日も頑張ろう!

2014年7月15日火曜日

十七条憲法

会社経営において、もっとも  
大切で、もっとも難しいのが、
社長から社員一同のベクト
ル合わせなのだと思う。

全社員の価値観と使命感
を一つにして一団となって
仕事をすることが、楽しく
仕事をすることにも繋がり
如いては、売上目標が、
達成した時にやりがいを
感じるのだと思う。

この難しい、ベクトル合わせ
は、昔から人間社会には、
存在したのだと思う。
『日本書紀』にも出てくる
聖徳太子の十七条憲法も当日の歴史背景を見ていくと、太子が生まれた
用明天皇の時代は、仏教を崇拝する蘇我氏と排仏を唱える物部氏の
対立の時であった。

争いの中、聖徳太子は、安定した国家をつくるために、人はどんな事を心がけ
そして行動すべきかを深く考えるようになった。
604年、聖徳太子は、推古天皇の摂政となり、十七条憲法を制定された。
そこには、太子の和を尊ぶ気持ちが込められている。

ただ、この604年と言う年号だけを、学生時代は、覚える、、、
今この年齢になると、こんな背景があった、こんな気持で、聖徳太子は
作ったんんだろうなと思うと、味わいがでる。

そして人間学的に、この十七条憲法を二つに分類して勉強した。
一つは、神道と仏教の教えからなる、「宗教教育としての人間学」。

第二条:仏教をおおいに尊重せよ。
第三条:天皇のお言葉には、必ずつつしんで従いなさい。

二つは、四書五経の教えからなる「道徳教育としての人間学」。

第一条:和を尊び人にさからい、そむくことがないようにせよ。
第四条:役人は、人の守るべき道をすべての根本とせよ。
第五条:私利私欲をすて、公平な裁判をせよ。
第六条:悪をこらしめ、善をすすめよ。
第九条:すべてのことにウソとイツワリのない真心を根本とせよ。
第十条:考え方の違いで人を怒ってはいけない。
第十五条:私心をすてて公の立場に立つのが、君主に仕える者のつとめだ。

聖徳太子は、神道、仏教、四書五経、沢山の要素を勉強されて
国、人々の「和」を大切に、国造りをした。
日本人の進むべき大切な道徳規範がここにある。

会社経営をする中において、人の心を一つ
にする、「和」をつくるために、「神道」「仏教」、
「四書五経」を参考としたい。







2014年7月14日月曜日

魚図

昨日の日経朝刊に出ていた、魚と
の対話の記事の絵は、以前、
葛西臨海水族園のポスターで
見たことのあった絵だった

すごく、繊細でまた、時代背景を    
考えるとどうやって書いたのか?
また、作家は誰なのか?
とても気になっていた絵だった
ので、興味深く記事を読んで
しまった。 

このにぎやかな海中の絵、大きな
タコが八本の脚をなびかせ、赤い
マダイと腹を膨らませたトラフグが
元気に泳ぐ、尾の長いエイや、
体の白いイカ、本当に素晴らしい
絵。この絵の名前は、「諸魚図」と「群魚図」と言う絵で、画家は、
伊藤若冲(1716~1800年)今から約250年前に描かれた絵になる。

記者も書いていたが、テレビも水族館も無い時代
に、よくもこんなに繊細に魚が泳ぐ絵が描くことが
出来たなと疑問に私自身も思っていた。

それが、どうも作家若冲は、京都の錦小路(錦市場)に面した青物問屋の
四代目としてこの世に生を受けた方だったようで、その市場においての
店先で、冷水の桶に入れられていた魚類を観察したようである。

それにしてもこの絵を見ているだけで、「夏」、「涼しげ」を感じる。

昨年、葛西臨海水族園において   
結婚式をプロデュースしたことを
思い出した。
葛西臨海水族園においての初
デートが思い出の二人。
結婚式の前撮り写真には、その
魚の水槽の前で写真を撮影
した。

こんなカップルの写真を見たら
作家若冲は、ビックリしただろう
と思う。

葛西臨海水族園は、今年が
開園25周年になる
らしく、その記念の年として限定一組、水族
での結婚式を企画したいと先日お話を頂いた 

是非、心に残る結婚式。魚が、「ぎょ!」となるような、
温かい思い出に残る結婚式をお手伝いしたい
と思う。 
今日から7月後半戦、頑張ります!



2014年7月13日日曜日

シャンパンとスパークリングワインの違い

昨日の接客において、シャンパン
とスパークリングワインの違いを
質問頂きました。

シャンパンは、スパークリング
ワインの一種で、原料のぶどう
の産地が、シャンパーニュ地方
で作られたぶどうから製造され
たものが、シャンパンです。』

ええ?ぶどうの産地が違う
だけですか?
はい、そうです。」

返答をしておきながら、不安
になり、インターネットなどで
調べる。すると、スパークリン
グワインは、ワインの種類で、
発泡ワインの総称。発泡させ
るために、色々な方法がある。

発泡酒のビールのように、ワインに、炭酸を注入する方法、またシャンパン
のように、ワインになってから、、、醗酵の過程を2回行う「瓶内二次醗酵」という
方法を取っているのが、シャンパンである。

シャンパン製法は、通常と同じ方法でベースとなる泡のないワインを造り、その後
できたワインを瓶に入れて糖分と酵母を加え2度目の醗酵を促す
醗酵(アルコール醗酵)とは酵母の働きによって糖分を分解して、アルコールと二化炭素を発生させる現象で、通常のタンクや桶、樽では、醗酵したワインから発生した二酸化炭素は空気中へと放出され、ワインの液内には残らない
シャンパンはこの瓶の中という完全に密閉された環境で2度目の醗酵が行われることにより、発生した二酸化炭素の逃げ場がなくなり、ワインの中に溶け込む。つまりシャンパンの栓を抜いたときに勢い良く出てくる泡は、ワインがアルコール醗酵を行う過程で発生した二酸化炭素である。
すごい!また、このように発泡ワインは、スパークリングワインと呼ぶように逆に、発泡しないワインのことは、ステルワインと呼ぶ。 フランスの地図を見ると、その地方の名前で、よくワインの産地名でよく聞く名前が、出てくる。「ボルドー」、「ロワール」、「ブルゴーニュ」ワインは、その産地がとても大切なのだと学びました
シャンパンとスパークリングワインがあまりにも金額が違うのは、歴史なのか?製法なのか?もっと深く勉強してみようと思います。
「乾杯は、とりあえずスパークリングワインで、、、」となった。
今日もまたがんばります。



2014年7月12日土曜日

常に革新する

台風八号は、大きな傷跡を
残し熱帯低気圧に変わって
行きました、昨日は、夏日と
なり、昼間に今年初めての蝉
の声も聞きました。そして、
テレビでは、金曜ロードショーか
ら「夏のジブリ」が始まりました。

店舗のおいては、秋の婚礼、
来年春の婚礼の準備作りを
始めました。秋と春のブライ
ダルを意識して新商品開発
をしたいと思います。

先日の日経新聞のセブン&
アイ鈴木会長の記事が、
衝撃的でした。

1.変化の時代は、チャンス!前の消費税増税の時と今回は、違う。増税の
  反動で安いものが望まれるのは従来の考え方。
  今回のお客様は、明らかに「質」を求めている。
 
  ⇒ 良い物が求められる時代にボリュームゾーンの商品はどの業態でも
     売れるはず!!

2.「ほかの店を見てもしょうがない!」 マーケティングが、あてはまらない
  データーがどんどんと過去のものになり、ヒット商品は、パッと消える。
  ⇒ 仮設を立て、試行錯誤を繰り返す。が大事!
  ⇒ 自分の会社でしか出来ないことはなにか?
   セブンでいう、試食をして新商品を開発すると
   同じ、常に革新し続けないと成長できない。

3.スタッフの潜在能力を引き出す。
  もっと、もっと、スタッフと一緒になり、一緒に
 考えてチームワークで革新する!!

約15年前、イトーヨーカ堂の担当者として、毎日、ヨーカ堂の本部に行って
いた頃が懐かしい。毎週の新聞のチラシは、このPOSシステム、単品管理
のデーターで、ABC分析を行い、次週の流れ、時代の流れを考えて
チラシを作り、ディスプレー、タグ、ポップの提案をしていた。

一年間は、たったの五十二週間! 一週間、
一週間の戦いだった。

もっと、もっと知恵を出し、知恵を集めて、進もう!
さあ、この夏、秋、年内、来年春の対策を練り、自分達の使命、
天命を信じ、進んで行かないといけない。



2014年7月11日金曜日

一隅を照らす

先日、人間学の勉強をしている 
際、心に残った言葉に、
『一隅を照らす』
あります。

これは、最澄が、書いた、
天台宗の経本『山家学生式』
に出てくる言葉です。

昔勉強した時は、ああ、
隅を照らすのか、、、、
と考えたただけでしたが、
そうではなく、
自分が、自分らしく、自分の
役割を果たすと言う、意味。
自分が自分の役割を使命
を全うすることが大切ということを知り感動しました。

国の宝とは何物ぞ、宝とは道心(どうしん)なり。
道心ある人を名付けて国宝と為す。

径寸(けいすん)十枚、是れ国宝にあらず
一隅を照らす、これ則ち国宝なり

<訳>

国の国宝とはなにか? 宝とは道を修めようとする心である。
この道心を持っている人こそ 社会にとって、なくてはならない
国の宝です。 宝石10個が、国宝ではない。
社会の一隅にいながら、社会を照らす生活をする。
その人こそが、なくてはならない国の国宝の人である。

道を修める、身近に自分でできる事をする、自分の持ち場において
精一杯頑張ることが、自分の周りを明るく照らすことになる。
自分が、頑張ることが、社会を元気にすることになる。

「一燈照隅 万燈照国」

一つの灯りは隅しか照らせないが、万の灯りは国全体を照らすことができる。
転じて、一人一人が自分の役割を懸命に果たすことが、
組織全体にとって最も貴重である。

「一隅を照らす」を意識して日々を過ごす。さあ!今日も頑張ろう!

2014年7月10日木曜日

直日(なおび)と五倫

昨日は、毎月一回のマナムスヒ  
の会でした。この会は、自宅の
神棚に毎日手を合わせる事。
感謝の気持ちを持って、神棚
に自分の空間、自分一人に
なる空間を作る。神様に喜ん
で頂ける祭祀として祝詞を
奏上する勉強会です。

昨日勉強した祝詞の中の大切
な言葉、直日(なおび)の紹介。

直日は、直毘、直備とも書く。
日本人の倫理意識を表現する語。尋常でない
状態のもの、悪い状態のもの、曲ったこと
(禍事・まがごと)を、尋常に、また元の良い状態
へ改め直すこと。
またその奇霊(くしび)なる霊格をいう。(神道事典より)
記紀や祝詞などでは、神直日、大直日と、神、大を冠し繰り返して慣用され
る。

祝詞の中で、自分の悪い状態の物を良い状態へ改めるエネルギーを頂き
清き状態、心になる。

日本人の倫理意識というのは、「悪をけがれ」とみなし、自然のもつ清浄さ
を理想としてきた。それは、他者に対して隠しだてをしない清明心を基本と
する倫理。「心情の純粋さ」を基本においてきた日本人の倫理観。
善い心のことを、「キヨキココロ」「アカキココロ」とよんだ。それは清明心
ともよばれ、同じ共同体の人々に対して隠し立てをしない心を意味していた。

倫理の言葉で、私の学んだ言葉に、「吉田松陰の士規七則」に出てくる五倫が、
あります。

原文を読みやすく書くと、
『凡そ生れて人と為る、宜しく人の禽獣(きんじゅう)
に異なる所以を知るべし、蓋し人に「五倫」有り。
而して、君臣父子を最大と為す。
故に、人の人たる所以、「忠孝」を本と為す。』

現代語訳:およそ、人として生まれてきたのならば、人と動物の異なる
ところを知っておくべきです。そもそも、人には「五倫」があります。
その中でも最も大切な事は、父子の親と君臣の義になります。
故に人の人たる所以は「忠」と「孝」を本と為ります。

ここで言う、「五倫」は、
一、父子の親。 
    父と子の間は、親愛の情で結ばれなくてはならない。

二、君臣の義。 
    君主と臣下は、互いに慈しみの心で結ばれなくてはならない。

三、夫婦の別。 
    夫には夫の役割、妻には妻の役割があり、それぞれ異なる。

四、長幼の序。 
    年少者は年長者を敬い、したがわなければならない。

五、朋友の信。 
    友は互いに信頼の情で結ばれなくてはならない。

祝詞より学ぶ、倫理の世界、勉強が必要です。
今日も頑張ります。











2014年7月9日水曜日

東京湾でクルーズ!船上結婚式で最高の思い出づくり

先日、久しぶりに天王洲アイル   
ヤマツピア出航のクルーズ
ウエディングをプロデュース
させて頂きました!!

「東京湾」を「クルージング」
しながら挙げる「結婚式」、
「お台場」や「レインボーブ
リッジ」などをめぐり、「スカイ
ツリー」なども海から眺める
「クルージングウェディング」!
常に変わりゆく東京湾岸を目
に焼きつけながら、思い出に     
残る最高の「船上パーティー」
をテーマにしてお二人の入籍
記念日である七夕の日に、
結婚式をされたお二人!とて
もとても楽しい披露宴でした。

その披露宴で心に残った
スピーチのご紹介!

「根ふかければ枝
しげし、源(みな
もと)遠(とお)
れば流れながし」を新郎新婦に贈ります。伯父様からの祝辞。

ちょうど、船が天王洲アイルの運河から、大海原、東京湾に出て行く時
タイミングで、船の両脇の水の流れを見ながらのスピーチだったのもあり、
とても印象的でした。
新郎新婦がこれから作る、『新しい家族』は、家族の絆=根が、深ければ
深いほど、沢山の家族の思い出が茂り。またコンコンと湧きでる泉は、
まさに家族の源泉、二人からお子様、そのお子様のお子様、お孫様と
子孫をずーーと繁栄する姿は、この家族のつながり、親子の孝がないと
長くつながりません。親子の孝をずっとつなげて、湧きでた源泉から、川と
なり、やがて大きな海原に広く広くつながって行って欲しい。子孫繁栄を
願っての祝辞でした。

是非ともこの伯父様の祝辞の言葉の通りに、絆の
沢山ある、そして子ども達が、どんどんと子孫繁栄
する立派な家族を作って頂きたいと思います。
お幸せに!!おめでとうございます。

2014年7月8日火曜日

日本の神々

日本の神話、古事記の中か
ら神様のご神徳を知る。
「天岩戸伝承(あめのいわとで
んしょう)」を例に取ってみると。

弟神、須佐之男命(スサノオ)
の乱暴にショックを受けた、
太陽の神・天照大御神(アマ
テラスオオミカミ)が、天の
岩戸の中にお隠れになり、
世の中は、暗黒の闇に包まれる。

この時、八百万の神々が、思案を尽くして、執り行われた一連の営みこそが祭祀
行為の原点とされる。その大まかな流れ,有名な神話は、次の通り。

常世(とこよ=永久にかわらない神の域)の長鳴鳥(ながなきとり)が
集まり、「コケーコッコー」と大きな鳴き声を放つ。そして、ははかの木を使って占いを
すると、榊の枝に八咫鏡(やたかがみ)と布帛(ふはく)という供物用の布を
飾りつけ、布刀玉命(フトダマノミコト)という神様が、これを
御幣(ごへい)、いわゆるお供え物として天照大御神に向けて捧げた。

そして天児屋根命(アメノコヤネノミコト)と言う神様が祝詞を
奏上すると、今度は、天宇受売命(アメノウズメノミコト)という
女神が、自分の胸をさらけ出して踊り始めた。

八百万の神々は一斉に笑いだし、これを騒がしく思った天照大御神は、何事かと
思いひょっこり顔を外に出そうとする。

すると、その顔の正面に鏡がひとつ。この鏡に、太陽神である天照大御神の光が
反射する。遠い暗闇に放たれたこの一条の光を、自らの発する光ではなくどこか
別のところから発せられた光と勘違いした天照大御神は、「これは何事か?」
と八百万の神々に尋ねた。彼らは、「天照大御神に代わる新たな太陽神が
現れた」と答え、天照大御神の動揺を誘うことに成功する。

天照大御神は、その新たな太陽神の顔を拝まんと、岩戸よりさらに身を乗り出す。
そこで、岩戸の裏手に待ち構えていた腕力の神・天手力男神
(アメノタヂカラヲ)が天照大御神を岩戸の外に引き上げ、無事に
救出する。

布刀玉命の子孫は、忌部氏(いんべうじ、のち斎部氏(読み同じ)。氏族名の
「忌(いむ)」が「ケガレを忌む」すなわち「斎戒」を意味するように、古代朝廷の
祭祀を始めとして祭具作製・宮殿造営を担った氏族である。

天児屋根命は、春日権現(かすがごんげん)、岩戸の前で祝詞を唱え、
天孫降臨の際瓊瓊杵尊に随伴し、古事記には中臣連の祖となったとある。
子孫として、中臣氏、藤原氏がある。 祝詞担当。

天宇受売命は、踊りの神様、芸能の神様として祀られる。

天手力男神は、腕力の神、力持ちの神。

神と人間のこの関係が、すごく神道らしくて良い
のである。日本の神は、感情があり、チーム
ワークがあり、とても良いのである。