2014年4月30日水曜日

神仏分離と天井の絵

神仏分離と言うのが、明治政府に    
より発令され、それまで、神仏習合
として、同じ場所に、お寺と神社が
あったものを、寺院と神社に分離
し、僧侶と神職に分かれて、運営
するようになりました。

1868年、明治政府は「王政復古」
「祭政一致」の理想実現のため、
神道国教化の方針を採用し、
それまで広く行われてきた神仏習合
を禁止するため、神仏分離令を発した

政府は、神仏分離令により、神社と
寺院を分離してそれぞれ独立させ、         
神社に奉仕していた僧侶には還俗を
命じたほか、神道の神に仏具を供える
ことや、「御神体」を仏像とすることも
禁じた。

先日、赤坂氷川神社の本殿天井の画
が、あまりにも綺麗で、宮司様に
「この絵はやはり、江戸時代からの物
ですか?」 と質問させて頂いた。
その時の答えが、「いいえ、この神社は、
明治の神仏分離令以降、お寺のから
神社になりました。お寺の天井のまま
では、薄暗く、昭和4年遷座二百年を
記念し、画かれたものです。」とお教え頂いた。すごく、興味を持ち調べて
みるとこの絵は、河合玉堂の弟子であり氏子であった長華崖(ちょうかがい)による
格天井の花鳥、宮部衆芳による壁間の鳳凰の絵図を加えた、総欅造り
銅葺朱塗にして、丹青荘重の一間社流造の広大にして壮麗な美は東京でも
屈指とされています。
徳川八代将軍吉宗が、創建し、大切にされてきた神社であることが、良くわかる。

花、や鳥、いわゆる花鳥風月豪華な絵が、天井の一杯に広がる。いつ観ても
ほれぼれする。ものである。

江戸時代、明治、大正、昭和、平成と時代と共に、幕府や政府の意向と
ともに、変化している変遷が今に残っていることに、改めて感動する。
文化、歴史の勉強は、大切なのだと改めて感じる。

2014年4月29日火曜日

金平糖

金平糖に最近はまっています。        
それ程金平糖を食べようとは、
今迄思ったこともなかった。ただ、
神社の御神饌で、頂くことが
多く、疲れた時に、又、小腹が
すいた時、、ポリポリと食べる。
これが、案外美味しい!
食べるようになりました。

所謂、FRISK(フリスク)やガム
と同じような、口の中をスッキリ
させるというか、口寂しい時に
いいのかもしれません。
ここ1週間は、この写真の靖国
神社さんで長男が頂てきてもの
です。4月20日からの春祭りに、
靖国神社の篝火の警備を、
ボーイスカウトでしてくれており、
そのお供物の月餅と金平糖を
頂いてきます

金平糖の起源を調べてみると
ビックリ!しました。
金平糖、金米糖、金餅糖、糖花
とも表記される。語源はポルト
ガル語のコンフェイト (confeito)
初めて日本に金平糖が伝わった時期については諸説あるが、1546年(天文15年)
にカステラ・有平糖などとともに南蛮菓子としてポルトガルから伝えられたとされる。

金平糖と言う名の通りに、日本人の昔からの御菓子かと思っていたら、
ポルトガルからの伝来の南蛮菓子だった!

保存がきき、人間のエネルギー源としても帝国陸軍において古くから乾パンと
ともに携帯口糧(戦闘糧食)として用いられていた
靖国の神饌の説明にも、
かつて激しい戦いの合間に、この金平糖によってひと時の安らぎを持たれた
ご祭神も少なくはありません。御祭神をお偲びいただくようすがた、皆様に
お頒ちいたします。」と書いてある。

毎日の戦いにと思い、金平糖にはまるのは、リバウンドすると
家内には、注意されるが止まらない。

2014年4月28日月曜日

赤飯

赤飯の引出物は、よく私が子供の頃   
は、見ていた。親が親戚や知り合い
の結婚式に行ったと知った時は、
赤飯が楽しみだった。

最近、ポツポツと引出物に赤飯を
加える新郎新婦が出てきた。なか
なか赤飯を扱う、また赤飯を贈答
様にしてくれるお店が少なく、私は
品川の枡翁軒さんで作ってもらう。
のしが立派で、写真は、内祝いと
あるが、結婚式の際は、寿となる

祝いの時に赤飯が、出てくる起源は
何か、気になり、調べてみた。         

古代より赤い色には邪気を祓う力
があるとされ、例えば墓室の壁画
など呪術的なものに辰砂が多く使わ
れ、また、日本神話の賀茂別雷命
出生の話に丹塗矢(破魔矢の神話
的起源)の伝承があることからも窺
える。また、神道は稲作信仰を基盤と
して持ち(田の神など)、米はとても
価値の高い食糧と考えられてきた。
このため、古代には赤米を蒸したもの
を神に供える風習があったようで
ある。その際に、お供えのお下がりとして、人間も赤米を食べていたと
想像される。米の源流を辿ると、インディカ種とジャポニカ種に辿り着く。
インディカ種は赤っぽい色をしており、ジャポニカ種は白である。

縄文時代末期に日本に初めて渡ってきた米はこの2種の中間の種類で、
ちょうど赤飯くらいの色だった。この米を、日本人は江戸時代になる前まで
食べていた。

しかし、稲作技術の発展による品種改良でより収量が多く作りやすい米が
出てきたこと、食味の劣る赤米を領主が嫌って年貢として収納することが
できなかったことから、次第に赤米は雑草稲として排除されるようになった。

だが赤いご飯を食べる風習自体は生き続け、白い米に身近な食材である
小豆等で色付けする方法が取られるようになったと考えられる。

すごい!!
すごい赤飯の起源に日本人の長い歴史を感じる。
結婚式に引出物は、御両家からのお礼として、のしには、〇〇家、〇〇家
姓をつけて、引菓子は、お二人からの幸せの御裾分けとして、◇◇、◇◇と二人
の名前をつける。 赤飯は、偶数ではなく、奇数=陽の数にするために、
もう一品としてつける。

「復活」というのか、世代が変わり、考えが変わり、
その変化の中で、結婚をする両家の家からの祝い
として、「おもてなし」の気持ちから引出物を考える
カップルが増えています。
赤飯、私は、是非とも引出物に付けてほしいと思います。

2014年4月27日日曜日

「朝の来ない夜はない」

「朝の来ない夜はない。」は、遠山の    
金さんの名セリフ。
私の大好きな言葉である。
『朝』、どんなに暗い暗い夜であって
も必ず、明るい新しい朝がやってくる
朝は、十月十日と書き、これは、
赤ちゃんが、お母さんのお腹の中に
いて、ちょうど生まれてくる時を言う、
十月十日、人間は、母の体の中に
母から沢山の栄養と愛情を頂き
そして、誕生する。
毎朝、毎朝東の空から、太陽が昇る
これは、ずっーーーと変わらない。
そして、その朝は、新しい。 新しい一日が始まる!新しいく、生まれてくる日
昨日とは違う、新しい朝なのである。つらいつらい昨日から、また新しい朝が
始まる。

十月十日は、赤ちゃんが約310日間母と一緒に居る。そしてこの世に誕生する。

朝を迎えるは、自然の中の摂理であり、法則あるかも知れないが、
これに神秘と感謝の念を感じると『日々新たなり』
という言葉になる。

易経の山天大畜の中に、

『大畜、剛健篤實輝光、日新其徳』

と言う言葉がある、大畜(だいちく)は、剛健篤實(ごうけんとくじつ)にして
輝光(きこう)あり、日々に其の徳を新たにす。

剛健篤實は、「強く元気で、情にあつく誠実であること。他への思いやりがあり,
また,まじめであること。」を言います。
山天大畜は、山が、天の元気をたくさん止め蓄えているので、山の草木が
成長することができる。

天から頂く命令、天命に従って、妄念妄想がなく、
至誠の徳があって、大いに蓄えることができる。
妄念や妄見、邪念などなく「天の理に従って、
至誠を持って行動する」と大きな蓄えが出来る。

綺麗な青空の下、清々しい朝を迎えて、朝について書きました。
日々新たな気持ちで、元気に頑張ります。

2014年4月26日土曜日

賀茂別雷神社の立砂(たてずな)

賀茂別雷神社の立砂(たてずな)     
4月19日ちょうど、一週間前に
行った、京都の賀茂別雷神社の
細殿(拝殿)の前にあった、二つ
の盛砂が、今だに頭から離れず
何を意味するのかを興味を持ち
調べてみた。

飲食店などで、よく、店先、玄関
の左右に綺麗に円錐の塩を盛っ
ている。この盛塩の意義は、
大きく二つに分けられる。
一、人寄せの為の縁起担ぎとして
  の盛り塩
二、神事・葬送儀礼としてのお清           
   
   めの塩。又神に捧げる神聖な
   供え物としての塩

この盛塩に近いのか? 神社の
立て札には、下記の通り書いて
あります。

立砂(たてずな) 盛砂(もりずな)
とも云い、「たつ」とは神様のご
出現に由来した言葉であり神代
の昔ご祭神が最初に降臨された
本殿の後2kmにある円錐形の

美しい形の神山(こうやま)に因ん          

だもので一種の神籬(ひもろぎ)
即ち神様が降りられる憑代
(よりしろ:依代)である。
鬼門・裏鬼門にお砂を撒き清め
るのは、此の立砂の信仰が起源
で「清めのお砂」の始まりである。

とあります。なるほど、調べて行く
と確かに鬼門にむかって、この
立砂は、あります。

立砂の頂きに松の葉が、立てられ
細殿向かって、左が、三本の葉、
右が、二本の葉の松葉が立てられ
、陰と陽の一対になっている。             

陰陽の考えや、方位、二十八宿
などを守る考え方や方違いを以て
良くなるように、鬼門を避ける、
守る考え方は、興味深く、研究し
て実践していくのは、とても勉強に
なるのである。
世界文化遺産である、日本京都の
賀茂別雷神社(上賀茂神社)さん
是非、このゴールデンウィークに
参拝してみては、如何でしょうか?

2014年4月25日金曜日

恋愛ドラマセラピー

『恋愛ドラマセラピーで35歳から  
の理想の結婚を手に入れる』
先日、祝詞勉強会において、
お世話になっています、社長様
よりご紹介頂き読んだ本です。

すごい!

「結婚」「パートナーとの出会い」
「自分に合った恋愛を引き寄せる
ためには、「なぜ私が原因なのか」
を考えることから始めてみる。
つまり、婚活は出会いの
場に多く足を運ぶこと
ではなく、結婚を邪魔する心理的障害を取り
除くことが大事であることが、書いてあります。

本の文章の中で、心に残った文章
結婚は、「分離されていた二者の再統一」。夫婦がふたりでひとつに
なることこそが、結婚の真の意味だと言う。
「結婚は単なる肉体関係ではない。それはひとつの試練です。そしてその試練
とは、二者が一体になると言う関係において、エゴを犠牲にすることを意味して
います。」 つまり、結婚とは、通常の「自分」を超えた、「ふたりとしての自分」の
ためのものであり、私たちが考える以上に、もっと深い結びつきのことをいうの
ではないでしょうか。
「パートナーシップを築く」と言う意味で結婚をとらえ、その中で、いかに人間と
して成長していけるのかということ。

人間関係のすべては、夫婦関係に関係する。つまり、子供のコミユニケーション
能力の向上に、家にいるお父さんお母さんの夫婦関係を見ていることが、
とても影響をしている。 幸せな夫婦、両親が増えたら、子供たちの問題は、
激減するのではないか? 
人間の体は、自然界、宇宙の一部です。だからひとりひとりが、自分の体の状態
をよくしようと、気を配るだけで、自然環境をよくすることにつながります。

「ドラマセラピー」と言うのは、眠っていた素敵な役割を発掘し、自分の幅を広げる
こと、そしてなりたい自分に近づいていくこと。
私たちの内面にある魅力的な種を花咲かせる。

すごく勉強になる本でした!
確かに自分の人生は、自分を主人公にしているドラマです。その人生に
おいて、成りたい自分があれば、そのなりたい者をドラマの主人公として
まずは、演じてみる。その演じてみることが、憧れの主人公の自分に
なれる第一歩。夢に近づくためには、その夢を具体的にすること、
自分自身の中で、夢に描きながらも自分には、なれないとストップを
掛けている己自身を、ドラマの主人公と言う形で、奮い立たし、勇気を
もって挑戦する。
自分は、やれる!できる!あきらめない!と言う、
精神を持って、前に踏み出す!必ずできます。
夢への挑戦! ありがとうございました。

2014年4月24日木曜日

親の子離れ

親の子離れと言うのは、なかなか難しいものだ、次男が鹿児島の中学校に行き
間もなく、3週間
。 最近読んだ、論語の文章にその関する文章と思える
物を読んだ。
子曰わく、之(これ)を愛して能(よ)く労(ろう)することなからんや。
忠(ちゅう)にして能く誨(おし)うることなからんや。


孔子が言いました。
「人を愛するということは、苦労させるということなんだよ。
 人に誠実であると言うことは、間違ったことを忠告してあげるということだよ」
と。

要は「かわいい子には旅をさせよ」といった子どもや部下への真の愛情や
友人に対する真の友情がどんなものかを言ったものだと思います。


子供三人も授かり、同じように育てているようで、それぞれに個性を持ち
それぞれに味覚や、好き嫌いを持ち、得意不得意を持ち、全然違った子に
育つのは、何なのか?

長男は、肉が好きだが、次男は、鮨が好きで、長男は、和菓子が好きだが
次男は、洋菓子しか食べたがらない?

同じ朝食、夕食、同じ机、同じ程の時間に朝起きて、夜就寝する。

そんな次男が、自ら寮生活を臨み、意気揚々と両親の元から離れて
一人暮らしを始める。

「真の愛情というものは苦労させて独り立ち出来るように気づかせることです。」
と良く聞くが、子の親離れの方が、親の子離れよりも早いではないかーーー



また、人に誠実であると言うことも同じで、
やたらとその人の言うことを聞いて誠実であるように振る舞うのではなく、
その人が本来どうするべきなのか、何をすべきなのかを
気付かせることことが大切だと言うことだと思います。


宇宙、地球、星など、広く大きな世界から見ると、小さいことまた
人間80年、90年の人生においては、短い期間のこと、
こどもを通じてまた成長させて頂きます。 ありがとう。

2014年4月23日水曜日

明治天皇御陵

先日の大阪國學院の一周年同窓会    
において明治天皇陵のご参拝を
させて頂きました。 恥ずかしい話です
が、私は、明治天皇の御祀りされて
いるのは、明治神宮だと 思っていま
したので、御陵が関西にある事に
びっくりしました。

実際に参拝をさせて頂き、その広大
な 御陵に大きく受け止めて頂いた感
が あり、すごく澄み切った、清々しい
場所でした。 また、天皇陛下は、国の
安泰を思う気持ち 国家平和を願って
この国を大切 に思っていられる心は
すごいものを感じました。 
               
大阪の仁徳天皇陵に参拝した時 も、
奈良の畝傍山の神武天皇陵 や橿原
神宮に参拝した際も、そうですが、
とても大きいのです。これが、徳を
積まれた方の、膨大な心の方の
ものとするならば、この地から身体は
無くなっても、想いや願いという念
は、この世に残るものなのだと感じ
ました。 目に見えない、触れること
もできないが、いらっしゃる

歴史を調べると、明治45年7月30日、
明治天皇が崩御。同年(大正元年)
9月13日に東京・青山の神宮外苑にて大喪の礼が執り行なわれた後、
9月14日に埋葬された。
敷地は豊臣秀吉の築いた伏見城の本丸跡地で、京都に墓所が営まれた
のは明治天皇の遺言によるものという。

大正天皇以降の天皇・皇后の陵は東京都八王子市に作られたため、
近畿地方以西に作られた最後の天皇陵である。

京都の伏見、是非とも参拝して欲しい。

2014年4月22日火曜日

『真の幸福』について

昨日は、久びりに刺激的なテーマの話に出会った。

それは、『真の幸福とはなんだろうか?』という投げかけであった。

生きていく中で仕事をしていく中で常に考えていることではあるが、この真の幸福
と言う切り口は、やはり究極に大切なことであり深く興味のわくテーマである。

「真の幸福とはなんだろうか。人それぞれ違うかも知れないが、金や物の幸福
などは仮想の幸福ではないのか。盗まれも取られも捨てもしない実相の存在
こそ『真の幸福』ではないのか。

『人間力の基本、積極的精神態度の会得は
最大の幸せを呼ぶのだ。』

反対に不幸な生き方とは、消極的精神態度だ。これは、不運や病気を呼び、
煩悶(はんもん)を呼ぶ貧乏を呼ぶ。貧乏とは金だけではない。
心の貧しさも貧乏なのだ。

幸運も・幸福も・楽しさも・嬉しさも、総て自らが
招くものだ。

正々堂々の人生を積極的に生きる人に群がって寄って来るのが
天運であり幸せなのだ。
消極的にコソコソ生きる人に群がって寄って来るのが、不運と不幸なのだ。

人生の真理を掴め!真に在るべき人生とは、大自然の神秘の力を己に
頂くべきだ。宇宙の法則を正しく応用し、宇宙のエネルギーを自分の
体内に取り込み、積極的精神態度を自分自身の芯とし、ぶれない心
迷わない心を作り上げる。

経営者は、会社のトップとしてこの「積極的精神態度」を持ち、天命をしり
まっすぐとその道を進むのだ。

天命を信じ、たとえ苦しくとも辛くとも、運命がどうで
あろうとも、天が下された試練として「心のスイッチ」
を感謝に切替えてみよ。
純な心、尊い気持ちが人の器を大きくする。

感謝の隣に居るのが喜び。この喜びの隣に居る
のが幸福なのだ。感謝の習慣、喜びの習慣こそ、
自らの心へのおもてなしではないのか。

心は明るく楽しく、嬉しく喜ばせてあげるものです。それが心に対しての
「わたくし」の義務だ。

私たちは、天命を戴いてこの世に生き、天職を頂いて、結婚式場、神職の
仕事に生かさせて頂いているのです。生きる価値も仕事の価値も、
人様に喜びのお手伝いの仕事も本当に尊い仕事です。
日々の命を明るい楽しい、嬉しい喜び、幸福の方面から生きるのです。

私たちは天命に感謝をし、運命を切り開いて行く資質を与えられたのです。
自分の魂の指示で、あなたの心が陽気で元気の方向に導かれるのです。

「真の幸福」は、積極的精神態度で、天から頂いた天命を感謝の念を持って
やりこなし、沢山の方に幸せになって頂くお手伝いをすること。
朝ごはんや昼ごはん、夕ご飯を食べないとお腹がすくように、
心も魂も、明るく楽しく、この感謝や喜びといった、栄養を与えてないといけない。

明日からもまた天命の天職に感謝し、真の幸福への道をするもうと思う。


2014年4月21日月曜日

品川神社 春の例祭と葉蘭(はらん)

昨日は、品川神社の春
の例祭でした。
御祭りにおいてのお供物の鯛を
お供えする際、素焼きの皿に
そのまま置くよりもやはり見栄え
よくするために、神社境内に生え
ている「葉蘭(はらん)」を使わせ
て頂きました。

この自然に生えている状態では、
なかなか思い出せないものです、
素焼きの皿にそのまま鯛を置く
よりも数倍見栄え良くなります。

少しでも、神様に御慶び頂き、
召し上がって頂きたいものです。

直会の際に、「葉蘭(はらん)」は           
バランとちがうのかと話になり
ました。

良くお弁当とか、お惣菜を買った
際についてくる、緑色のプラス
チック製の物?ギザギザの山が
あるやつです。
あれは、「バラン」と呼びます。
どうも調べていると、人工的な
葉蘭=人造はらんが、『人造             
バラン』と呼ばれて、人造が、
外れて、『バラン』と呼ばれる
ようになったらしいです。

「葉蘭(はらん)」が、「バラン」             
に変化していくのだなーと
春の例祭の直会の席において
氏子の方々、禰宜さんと
一緒に話をしていると、それ
ぞれの方が、魚やさんだった
りして、専門分野でもあり、
詳しく、楽しかったです。

四月に入り、庖丁塚の御祭り
摂社の阿那稲荷の春祭り、              そして今日の春の例祭が、
終わり。いよいよ、六月の
例大祭への準備と進んで
いく品川神社です

一月は、お正月
二月は、節分祭
三月は、祖霊社の御祭り
四月は、、、、と
毎月の神社の行事を見ていく
と日本人が大切にして来た行事
が詰まっております。
その節目、節目において、自然
との共存、そして神への感謝を繰り返して、
一年間を家族揃って、無事、安全に健康に
生活を送れることが、とても大切な事として
きたように思います。

そして、それらを神社、神職と氏子総代が、
一つになって進めていく。隣・近所が、仲良く
町全体が活気にあふれ、安全な町、子供も
年配者も一緒に助け合い、楽しみ、支え
あって来たんだなと体感します。
品川の町、特に品川神社に携わる
氏子総代惣町、神社役員の方々は、
先祖代々そのように続けてきたんだと
思います。「町全体の絆が強い!」

品川神社にいると本当に
勉強になり、日本人の心の
大切にして来た原点を感じます。
『品川神社』大好きです。本当に携われて嬉しいです。

2014年4月20日日曜日

あふひとあおい(葵)

昨日は、大阪國學院の卒業一周年    
の同窓会でした。同窓会として、
朝10時に京都に集まり、バスを借り
て、神社参拝。参拝先は、珊瑚会
(大阪國學院35期として)の会長が
お決めになられた、世界遺産の神社
そして、『延喜式』に出てくる、一の宮
賀茂別雷神社、明治天皇御陵、伏見
月桂冠の大倉そして、大阪へ戻り、
大阪國學院の担任の先生をして
いただきました、坐間神社(いかすり)
様の正式参拝、そして懇親会として
新大阪にて行いました

賀茂別雷神社にて、特別参拝を
させて頂き、神社の由緒や、歴史
       
建物のご説明を丁寧にして頂け
ました。そのお話の中で、
賀茂別雷神社様のご神紋である、
「二葉葵」の紋の話を頂きました。

神話によると、遥か神代の昔、ご
祭神賀茂別雷神社は御降臨を乞い
願った母神玉依比売命の夢枕に
立たれ、葵を飾り馬を走らせ祭りを
行いなさいとの神託を下され、その
お告げに従い神を迎える祭りを行
ったところ御降臨されたと伝わり、
「葵(あふひ)」は古くより神と人と
をつなぐ草と呼ばれている。

あふひ=あふ(逢う)+ひ(日=神)である。 あふひは、
神とのご縁を頂ける、人とのご縁を頂ける良縁の紋でありそれを、徳川家は
アレンジされて、三つ葵を紋とされたと言われています。 
葵=あおい=あふひ
とても美しい話でした。

卒業して1年ぶりに会った仲間は、それぞれの神職の道において、ご奉仕
されていて、とても勇気を頂きました。
大阪國學院は、社会人をしてきた人々が、神社の息子であったり、その身内に
嫁いだことにより縁を頂いた方や神社との神縁で学校にきたかたばかり、
社会人としても専門分野を持ち、その職業では、ベテランとしてやって
こられた方ばかり、平均年齢は50歳の学生仲間なのです 
神道の道の勉強を通じてでないとお会いすることのない全国の仲間です。 
秋田、山形、鳥取、滋賀、静岡、四国、ほんとうに色んなところから集まった
志ある学生仲間(ある意味の青春仲間)。
人生において、「青春」は、年齢でなくその志、気持ち、情熱の時期をよぶ
のだと、、確信できる仲間。
「あふひ」まさに、神の縁で集まった仲間、最高です。

2014年4月19日土曜日

芸人さんの結婚式

先日は、なんと5年ぶりにフェイス     
ブックでつながった、BUAのお客様
と二人で飲みに行くことになった!

五年前のブレスアスオール天王洲
の店舗において、私が司祭をさせて
頂き、人前式を上げられた新郎様!
夜の8時に渋谷で待ち合わせをして
立ち飲み屋さんに行った。
人気の立ち飲み屋さんなのか、立ち
飲み屋の前で40分立って待ってい
た。やっとお店に入ったのが、8時
40分過ぎ、、

そこから一杯話をした。               

そもそも飲みに行くことになるまで、
のインパクトをお互いに持っていた
のは、やはり関西人同士であった
から、、関西の芸人と聞いたら、
なんか協力せなあかんのかーー
と思っていたことなど思い出話に
花が咲いた。

その話の中で、彼の
プロポーズの話になった。

私は、大阪の大学を出て、23歳で、
芸人なろうと、同じ大学の相方と           
上京してきました。最初に住んだ
下北沢で飲食のアルバイトをして
いる時に、今の奥さんと出会った。
相手が18歳、こっちが23歳。

時は流れ12年、そろそろ奥さんが
30歳になる、、
あああ、プロポーズせなあかん!
でも今の収入でどうやって結婚する
ねん、、幸せにでけへん、、、
と毎日、毎日もんもんと考えていた、

ある日、家のアパートの前に、見知らぬ老夫婦が、立っていた、、
こちらのアパートを下から見上げて何やら話をしている、どうしたのか?
と思い、声を掛けた。 『どうかされましたか?』
『いやーーここは、私たちが45年前に住んでいたアパートなのよーー』
そして私の部屋にちょうど住んでおられたらしい。。
『それなら、どうぞ、中もご覧ください大分変っていると思いますよ。』と
部屋の中も見せた、ああ、ここにお風呂は無かった、ここに何があった、、と
色々と昔の話をしてくれた、『私は、45年前に30歳で、音楽家だったんだよ、
私は、看護の仕事、、』、、、、音楽家??

同じ匂いだーー

『実は、私は、芸人で、、なかなか売れずに収入が増えず、結婚しようともなか
なかできないのです。』
それを聞いて、老夫婦の奥さんが、言った。
『何を言っているの!結婚、結婚生活はゼロから
のスタート!よー』

この話を聞いて、そのまま、その日に、彼女にプロポーズをしました。。

余りのすごい話で、私は、ビール片手に泣きました。久し振りに心が震える
ええ話や、、感動した!

プロポーズしても結婚式はあきらめていた時に、ブレスアスオールを見つけた
んですよ!! あの時、川辺さんにお会いして、感謝を伝えるんやーと言われて
人前式にして、おやじにありがとうと言えたことが、本当に、本当に、人生の
節目になって、今でもよかったなーと良く、親とも、家内とも話をするんです。

その話を聞いて、また私は泣いた!

これや!俺は、これをしなあかん!家族の絆を作るお手伝い。キッカケを作る。
幸せな家族を作る、、、涙を流しながら、燃え上がりました!
渋谷の立ち飲み、くじらもあじもまぐろも食べたし、ビール大びん2本
日本酒1合、、、大変満足な、勇気を頂く、パワーを頂く、夜でした。

ありがとう!芸人として絶対に成功して欲しい!
応援しています。


2014年4月18日金曜日

芝東照宮大祭

昨日は、芝東照宮の大祭でした、     
この日は、徳川家康公の旧暦での
1616年四月十七日が、命日の日
になります。来年2015年が、徳川
家康公顕彰四00年祭を全国の
東照宮にて行われる、との事です。

毎年この大祭の日は、日が穏やか
で八重桜が、文字通りポンポンと
咲いていて、とても良い日になり
ます。
今日の宮司の祝詞においての
『風光る時』、すごく、今日の日を
表わす綺麗な言葉と感じました。

風光る、浄化された、神の宿る風が、喜び穏やか
に吹く。その風に八重桜の花びらが、ヒラヒラ
と光ながら優しく舞う。素晴らしい大祭でした。

徳川家康公顕彰四約年記念と言うのはある意味の節目になる。
徳川家康公が礎を築いた「世界史上 例をみない平和国家」で
「究極の循環型社会」、また「文化の成熟期」でもあった徳川時代
素晴らしい日本の文化が形成された時代とおもうとともに、
良く築き上げられた。

これを機会に勉強したいと思う。

2014年4月17日木曜日

テレビゲームと人の気持ち

ウチの三男8歳は、秘密事を持っている。それは、今朝発覚した! やけに朝起きるのが、
早く、我々両親には、一応挨拶にはくる、「おはよう、ねぇテレビみてもいい?」
寝ぼけて動けない我々両親は、「いいよ」と言う。

今朝、朝5時、私が起きてみると、なんとテレビではなく、ゲームをしていたのである。

川辺家は、ずっとテレビゲーム禁止の家であった。長男も次男にもゲームを買ったこと
がなく、何度も、何度も買ってほしいと言われても、買わなかった。
中学になり、自己管理ができるという、条件のもと、初めて購入したのである。

それが、三男、年が離れた三男は、小学校二年生から兄のゲームをしてしまっている。
そもそも、私がなんでゲームを禁じたかは、単純な理由である。
外で遊んで欲しいのである。

しかし、時に公園を歩いていても、公園のベンチで小学生がゲームをしている。
ゲームの世界は、一人の世界。バーチャルの世界。架空の世界の中にいる自分。

外で遊ぶというのは、缶蹴りとか、おにごっことか、草野球とか、ケンカとか、
やって欲しいその中で、集団生活、集団行動や、もっとも大切な他人の気持ち
を考えるや傷つける事を学ぶのである。 
「どうしてあの子は泣いているのか?」「何を言った、どの部分が傷つけたのか?」
「痛い!」気持ちや、「悲しい」気持ちは、他人を通じて他の人間と行動して学ぶのである。

ゲーム、私が小学校四年生の時に始めて任天堂のテレビゲーム、本当に家のテレビ
に機械を接続して、行うゲームがブームになった。
私たちの家にも、父のゴルフの景品でやってきた。やってみたが、何も面白くなかった
やっている時は、どんどんと集中して、そのゲームを行うが、半月もしないうちにしなく
なった。ゲームが、喫茶店のテーブルに並ぶのもこのころで、家の任天堂のゲーム
よりも、喫茶店の大きなゲームの方がまだ、面白かった。

そんなゲームとの付き合い経験未熟な親が、子供のゲームに対する気持ちがわかる
訳がない、「ならぬことは、ならぬ」と頭ごなしで禁じても、隠れてゲームをするので
あれば、時間を区切ってする行うように、今朝、ゲームをしている小学二年生に話
をしたが、、、

ゲームを少々していても、他人の気持ちのわかる、思いやりのある、人間に育って
欲しいものである。

2014年4月16日水曜日

家族だけの会食会をどのように過ごすか?

家族だけの会食会は、年々増えて    
いるように思います。結婚式のお
手伝い、お衣装のレンタル、着付け
またヘアメイク、ウエディングの
プロデュースとしてお手伝いをさせ
て頂いておりますと、最後に皆様
の悩み事は、2時間から2時間半の
会食会をどのように過ごすか?

結婚をする新郎新婦の平均年齢が
高くなり、都内においては、直近の
新婦平均29歳とも言われています。        
平均年齢と現実とは、すこし違い、
どうしても結婚の年齢の山は、二つ
あります。つまり、平均が29歳と
すると、26歳の山と32歳の山と
なります。この結婚する年齢の山
の平均が、29歳ということになり、
ちょうど、山と山の間の少ない所、
谷になります。

32歳の新婦、いわゆる大人に           
なってからの結婚式は、家族中心
に行いたい方が多く、その際の
会食会、会食披露パーティーに
おいての演出に色々と試行錯誤
します。参加頂いた皆さんに楽し
んで頂き、両家の思い出になる
結婚式を考えるとやはり悩むの
です。

5月に行われる家族だけの結婚
式においては、家族の子供、
つまり新郎新婦の甥や姪も楽し           
ませようと『あめ細工職人』が、
会食会に来てくれます。

演出のプロを呼ぶことも会食会の
時間と空間を作る大切な、演出に
なります。
二人は、家族に感謝を表し、そして
皆様に楽しんで頂くことにより、両家
の交流になる。時間を共有すること
が大切な両家の節目となると、
考えておられます。                  

私たちは、その思いを
時間と空間に落とし込み
一緒に作り上げるお食事
においても、席次におい
ても一緒に考えます。
良い思い出の家族
温かい絆の結婚式になることをお祈りいたします。

2014年4月15日火曜日

浄土真宗の生活信条

私の実家は、浄土真宗です。その    
お経本の中に、「浄土真宗の生活
信条(せいかつしんじょう)」と言う
のがあります。

一つ、御仏の誓いを信じ、尊いみ
   名をとなえつつ、強く明るく
   生き抜きます。

一つ、御仏の光りをあおぎ、常に
   わが身をかえりみて感謝の
   うちに励みます。

一つ、御仏の教えにしたがい、正し
   い道を聞きわけてまことのみのりをひろめます。

一つ、御仏の恵みを喜び 互いにうやまい助けあい 社会のために尽くします。

毎月ある「母の命日」での法事において、、必ずのこの四つの生活信条を
お経を読み上げた後に、声を出して読み上げます。

この生活信条は、「御仏の・・」と言うところを、
「ご先祖の・・」とか「母からの・・」
読み替えて読み上げると、いつも、祖父母や母が、近くにて、見守ってくれて
いることを感じ、そして感謝の気持ちがあふれ、社会の為にしっかりと
自分の使命、天命にむかって、努力していこうと勇気と元気が湧いてきます。

一つ目の、「誓いを信じ」は、使命・天命の事と思います。自分が生まれてきた
のは、何のためかを長年悩むことです。志(こころざし)、生き方、進むべき道、
私は、40歳になって気付いたこの神道の道、私に与えられた役割を、心を
込めて邁進します。

二つ目の、「光」は、「愛」、両親に頂いた愛、教え、生き方、価値観の向上、人間として
男として、経営者として、神職として、自分を向上させる。エネルギーの源、
それが、「感謝」のエネルギーです。

三つ目の、「正しい道を聞き分けて・・」自分で、良き縁を頂けるように、自分自身の
向上が、大切です。 道を一つ一つ聞き分けるのは、難しいですが、その判断の
時に、神棚の前で、一人になり、感じるのです。

四つ目の、「互いにうやまいたすけあい・・」は、恕、忖度、仁、人間は、一人では
生きていけない、他人を思う気持ち、相手の気持ちを考えて行動する。
社会の為に、働くのです。

今日は、15日、大切な日です。

2014年4月14日月曜日

祝詞に学ぶ言葉の力

祝詞に学ぶ言葉の力について、今日は   
書きたいと思います。
昨日、芝東照宮において、第三回の
祝詞勉強会を行いました。今回は、
二つの祝詞、伊勢内宮神前祝詞と
稲荷大神秘文を勉強しました。

勉強会の中で、第一回、第二回目の
祝詞も復習として、全員で唱和をしま
した。祓詞、六根清浄大祓、大祓詞
それぞれを二回づつ声に出し、全員
で読み上げると、本当に、教室として
使用させて頂いている社務所の部屋
の空気が、引き締まり、また温かく
穏やかになり、一人一人の姿勢が         
良くなり、顔つきが良くなり、不思議な
空間になるのです。

これは、まさに、祝詞の言葉の力
なのだと思います。神棚に対して、神
様が喜んでくださる綺麗な言葉で、
作られた祝詞、その祝詞を読む事は
目にも、その声を聴く耳も、言葉を
発する口も、その空気に触れる身体
と空気を吸込む鼻も、そして心までが、
浄化されているのだと思います。

祝詞の勉強を通じて、日本語、大和
言葉を含めて、言霊を持つ我々日本人の言葉を大切に、もっと研究を
していきたいと考えました。

ほつま文字とも呼ばれている神代の時代からの文字の研究もしてみよう
かなと考えています。
言葉の力、言葉の大切さ、言葉から戴ける力、また言葉を沢山の人と一緒
に読み上げる力、合唱の時にできる感動と同じものもあるのかも知れません
本当に、祝詞勉強会をしてきて良かったなと思います。
昨日ご参加頂きました皆様に感謝申し上げます。

また、次回最終回は、7月に行います。是非、ご参加ください。


2014年4月13日日曜日

『川辺流 良縁ステップアップ三段階』

今日は、お昼13時より、芝東照宮          
 の社務所をお借りして、良縁祈願
参拝と祝詞勉強会を行います。

良縁と言うのは、「良き人との縁」
恋愛もあれば、上司・部下との縁、
友達との縁、仕事上のパートナーの
縁、また会社との縁、現代、やはり
人との縁が大切です。

その縁を良くするという目的で、
スタートしています。

『川辺流 良縁ステップアップ三段階』
と申しますのは、私の経験から、
良き出会いを分析して、実践体験
してきました祝詞を三段階に分けて
良縁を頂こういうステップアップです。

第一段階
ツミ・ケガレを祓う
これは、やはり大切な祝詞三つを
勉強します。
・祓詞(はらえことば)
・六根清浄大祓(ろっこんしょうじょうおおはらえ)
・大祓詞(おおはらえし)
の三つです。
これで、日常生活においてのツミ・ケガレを除き、元の自分、自分自身の生まれて
きた状態にする。

第二段階
天津神、国津神を味方につける
ここでは、天津神の代表として、伊勢内宮様、国津神の代表として、お稲荷様
を上げておりますので、それぞれの祝詞
・伊勢内宮神前祝詞
・稲荷大神秘文
を勉強いたします。 第一段階でツミケガレを除いた状態において、天津神・国津神
を味方につけるのです。

第三段階
天津神と国津神を結ぶ
最終段階として、自分で、自らが『ムスビ』を頂く
天津神と国津神を結ぶ、龍神に力をお借りします。
・龍神祝詞

以上の『川辺流  良縁ステップアップ三段階』で運気をあげて、良縁を頂き
ます。本日は、第二段階の部分となりますが、第一段階の三つの祝詞を復習して
から、第二段階まで進みます。
ご興味ある方は是非、ご参加くださいませ、、お待ちしております。

2014年4月12日土曜日

朝礼と神道経営(かんながらのみちけいえい)

我が社には、「BUA人間学」と言う、   
朝の朝礼で、社員全員で唱和する
言葉の一つがある。

『BUA人間学。
~仕事を通じて人間を磨く~
・我をすてる
・許す愛を持つ
・感謝をする
・素直になる 』

と朝礼の進行担当が読み上げる。

最近この朝礼において、まず始めに、会社の神棚に全員で、二礼二拍手一礼
をするようになった。名付けて、『神道経営(かんながらのみちけいえい)』である。

私立学校がやっているように、教育方針に宗教を入れると同じように会社の
教育方針に神道を入れるのである。

神道は、宗教であり、宗教でないので、生き方や価値観を神道的に言うと成程、
社員の心に届く。いわゆる子供の頃から自然に両親から学んできたことと
そんなに、違いがないのか皆、抵抗感なく、やることができる!

朝礼の前にこの神棚に向かい、社員全員で二礼二拍手一礼をする、そして
全員が、「二拍手」の音が揃うととても気持ちよく、一体感が出来る
会社の社員が一つの心で仕事を進めていきたい。
我々のブライダルの仕事は、特に連携しての仕事、時間との闘いである
新郎新婦を始め、お父さんお母さんから兄弟親戚すべての人が気持ちよく
結婚式をおえるには、この時間(タイムキーパー)が大事で、その時間は、
チームの連携、チームの一体である。

45歳になり、行きついた経営、BUAの神道経営(かんながらのみち、けいえい)
どんどんと作り上げたい。




2014年4月11日金曜日

つまようじ

先般、赤坂の豊川稲荷のお坊様と   
話しをしている中で、「この神社仏閣
にいると、何でも質問されて、何でも
答えられるように、日々勉強してい
ます。」と話されていた。

最近の質問された例としては、
これです。と出して頂いた、お茶
菓子の楊枝を指された。
これは、なんと呼びますか?
このお菓子の袋には、「おくわし」
と書いてありますが、つまようじ
とか、黒文字とか呼ぶのでは?           
と質問されたそうです。

爪楊枝は、妻楊枝とも書いて、
歯のすきまにはさまった物を
取り除いたり、試食コーナーで
試食の物に刺されていたり、
ソーセージのベーコン巻の
ように、食材と食材をひっつける         
時に使ったり。万能の棒である。

爪楊枝も用途によって、使用さ
れる場面によって、楊枝の雰囲気
を変えるのが、かっこいい。

歯のすきまの掃除であれば、
通常の断面の丸の楊枝で十分
と思う。
御茶席の際に、茶菓子と一緒に           
添えて出すなら、黒文字の方が、
体裁が良いだろう。
黒文字というのは、原料の木の
名前らしい。右に木の写真を
検索して、添付した。

一見、この木が、爪楊枝の黒文字
に使われている木とは、想像でき
ない。

日本茶道では、楊枝を菓子切りと
呼び、黒文字や象牙、金物を使う
とのこと。                       

御菓子は、皿の上のままに挿した
り切ったりせずに、懐紙を皿替わり
として、載せてから切るとのこと。
食べた後は、楊枝を懐紙に包んで
持って帰るのが、マナーとのこと。

ところで、赤坂豊川稲荷で出た「おくわし」と言う楊枝は、あの菓子屋さんの
オリジナル名で、「赤坂の青埜」さんの付けた名前とのこと。

爪楊枝の事を、今までの人生で考えたこともなかった。
何でも、その専門家が深く、文化やこだわりを考えて作っていることに
感動する。 


2014年4月10日木曜日

庖丁塚の御祭り

昨日は、品川神社にて、庖丁塚   
の御祭りでした。
品川神社の広い境内には、色々
な歴史ある石造が建っている
ので、前からこれは、何の物か
などの疑問を思っていた。

その一つに庖丁塚があった。
庖丁塚の石碑の隣にある、
由来を見てみると、このように
書いてある。

「抑もここ品川の地は、往古
より江戸出入の宿にして
近代となりてその地域広大と              
なるも、まことに殷賑をきわめ、
ゆえに調理をなりはいとする
店も多く、またそれらに使用さ
れし庖丁数知れぬなり。
このたび品川区鮨商組合発足
二十五周年を記念し、ここ縁り
の地品川神社の神域に庖丁
塚を建立、調理に役し、使い
古されし数多庖丁を納め、とわ
にその労を謝すと共に、同じ
くそれら庖丁により調理されし
鳥獣魚介の類、はた又蔬菜
等を慰霊し、併せて業界の              
発展を期し、とこしえに連合
会の隆昌を願うものなり。
昭和五十一年四月二十七日
品川区鮨商環衛組合連合会
会長 永原 徳 」

この由来の碑を見て、すごい
なと思った。庖丁がやはり、
鮨職人の方のまた調理を
仕事とするかたの一番の相方
で、大切なもの。ともに働いて
きた庖丁の労に感謝する。
またその調理された、鳥獣魚介
、蔬菜(そさい=野菜)に感謝
の念を祭りとして形にする。日本人、神道の考えなんだと、感動しました。
目に見えないもの、言葉を発しないもの、人間の
身の廻いには、沢山あります。
その目に見えないもの、言葉を発しない物は、
神に通じる。見えない物、言葉を言わない物に対し、
日本人は、畏敬の念を常に持ち、感謝をして、
今迄培ってきたことを継続するために、節目を作り、
その節目が、次へ繋がる力となっている。 
『感謝』の念は、大事です。

春の穏やかな陽気に包まれた素晴らしい御祭りでした。

2014年4月9日水曜日

言葉の大切さ

言葉の大切さを改めて感じた。     
引っ越しの荷物を整理している
中で、久しぶりに, 五日市 剛
さんの本『ツキを呼ぶ魔法の
言葉』の小冊子が出てきた。

整理しないと、、と思いつつも
やはり手を止めて、読んで
しまう。五年以上も前に読んだ
時と、今は、また違った自分が
いて異なった感想になる。

神職の仕事に付きながら、思う
事、それは、この本に書いて
いる。『言葉の大切さ』なのである そして、神職としていうと、それが『祝詞』なので
ある。祝詞は、祝いの言葉と書いている通り読み上げると、神様に喜んで
頂ける、喜んで祈念が通じる言葉。神様が心地よく感じる言葉なのである。
それもあり、大和言葉を使って奏上するのである。

この五日市さんの小冊子の中に、運がよくなる、幸せになる方法として
「心の持ち方って大事。だけど、もっと大事なのは、言葉の使い方。
どんなことを口に出すかであなたの目の前の状況が変わってくる、
あなたの心も変わってくる。」
この一文が胸にしみる、、
プラスの言葉を口にするだけで、自分も会話する相手も心地よい
状態に安定していく

聖書から紹介された、「ヨハネによる福音書」第一章の冒頭
はじめに ことばがあった
 ことばは 神と共にあった
 ことばは 神であった
 このことばは はじめに神と共にあった
 すべてのものは これによってできた
 できたもののうち 一つとしてこれによらない
 ものはなかった
 このことばに 命があった 」

まさに口から出る言葉そのものは生きていて、
想像をはるかに超える影響力をもち、自分の
人生を間違いなく創っていることを確信させる。
私が、三年前に神道の勉強の為、学校に行き、
一番感じた事です。
『神様に向かうと言う事は、これだ!』
綺麗な言葉、美しい言葉を使うことが大事
だと強く思いました。

そんな、五日市さんの本を読んでの感想でした。
運気の上がる、プラス言葉、綺麗な言葉を使い、その究極の
祝詞を奏上して、ますます運気上昇!

2014年4月8日火曜日

結納 と伊予の水引

結納 しましたか?と言うのを聞く事      
も少なくなってきた最近のブライダル
「結納はしていないが、両家顔合わ
せはしました。」と返答が返ってくる。

そもそもの結納の伝統や結納の話
結納の役割を話するべきでは、ない
か?と思ってた時、昨日の日経新聞
の記事を読んで興奮した!!
   
「伊予の水引が、ワインボトルサック
やブーケに変身!」 
おおお、すごい!     

今ではすごく減った『結納』であるが、
この変身が出来るなら、結納が、
増える!!やないかーーと思いま
した。さっそく、親しい結納屋さんに
話をしにいかないと、、と思った。

新聞の記事では、伝統産業や地場
産業では、本来の用途とは別の
新提案で活路を見出そうとする
動きが広がっている、、、、

この水引の産地は、「結納品」の       
生産地である。

結納は、大阪の堺にある前方後
円墳で有名な仁徳天皇の時代に
始まる。
仁徳天皇が、息子の結婚式に、
豪族の娘を戴くという際に、
『結納品』を先方に納めて婚儀を
整えたという事から始まる。
『結納』は、いわゆる「親の思いを
形に表現した物」である。

大切に育ててきた子供達、特に、
女性側の両親には、今まで育てた
られたお嬢様を男性側の家に来て         
頂くのである。男性側の親として
同じ子供を育ててきた親として、
先方の思いを考えて贈る品なので
ある。「結納をしなさいと、親に
言われて来ました。」と言う新郎新婦
が、多いが、その形がそもそも、
結納の形でないのである。

結納品には、松竹梅が、よく添えられる。
「松」は、一年中枯れることなく緑を保っている。
二人が松のように実り多い人生が送れるよう
にとの願いが込められている。
「竹」は、これからの二人の人生が曲がること
なく、竹のようにまっすぐに送れるようにとの
願いが込めれらている。
「梅」は、2月の寒い時期に花を咲かせます。
梅のように忍耐し、力を合わせて花を咲かす
ようにとの願いが込められています。

また、鶴、亀、高砂、スルメ(寿留女)、コンブ(子生婦)と目録と指輪(結美和=ゆびわ)
を添えます。
「鶴」は、長寿、鶴は生涯一羽としかつがいにならないため、節操も意味します。
「亀」は、長寿、何ごとも地道に努力するといったことを意味します。
「高砂」は、共に長寿を願う祈りが込めらて飾ります。そして、高砂とは、世阿弥作
の能の曲名に出てきます。物語は九州阿蘇の官の神主友成が高砂の浦で、
松の下を清めている老夫婦に出会い、高砂、住吉の二本の名木の松の
「相生(あいおい)の松」と称するいわれを聞くというもので、この老夫婦が
「じょう」と「うば」で高砂、住吉の松の精なのです。「高砂」とはその内容から、
昔から祝儀の席でうたわれ、祝言の席でも「高砂やこの浦船に・・」とうたわれる
ことが多いのです。この「じょう」と「うば」を夫婦の象徴としたのが高砂の人形です。
「スルメ」は、保存食として不時に備える意味があります。(=寿留女)
「コンブ」は、子孫繁栄を願う品で「よろこぶ」に通じます。(=子生婦)
それぞれ、目録にはおめでたい、あて字で書きます。

こんな親の大きな、大きな思いを「水引で表現した」結納品でした。
大切な『結納』この結納品をリフォームして、是非とも増やしたい日本の大切
な伝統行事として。両家の親が入って、さらに良い結婚式になります。
良い結婚式は、夫婦の節目になります。
「人生の節目作りのお手伝い」

2014年4月7日月曜日

千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)

今回の4月13日に行います、祝詞   
勉強会において、「伊勢内宮神前
祝詞」と「稲荷大神秘文」を勉強
します。その伊勢内宮神前祝詞
の中に、『比木(ひぎ)高知りて』
とできてきます。
別にある、「伊勢外宮神前祝詞」
では、『千木(ちぎ)高知りて』と
出来てきます。

この比木と千木の違いは、何か
を調べてみたのですが、なかなか
答えが出てこない。唯一の違い
は、内宮の千木は、先を水平に        
切り落とされている、内削ぎと
呼ばれて、女千木(めちぎ)とも
呼ばれています。
成程、「内宮」から「内」削ぎと
考えるとわかりやすい。

一方、千木と祝詞に出てくる、
外宮は、外削ぎで切り立って
いる。そして、男千木(おちぎ)と
も呼ぶ。

この話から、千木の形を見たら       
神社の主祭神の神様が、女の
神様、男の神様と見分ける事が
出来る。とも言う。

ただ、内宮の天照皇大御神は、
女性神であるが、外宮の豊受
皇大神も女性神であることに、
謎がある。

千木の話とよく一緒に話に出るのが、鰹木(かつおぎ)である。千木は屋根
の両端で交叉させた部材であり、鰹木は屋根の上に棟に直角になるように
何本か平行して並べた部材である。

内宮は、10本、外宮は、9本ありこれもまた、偶数の数が、女の神様、
奇数が、男の神様の主祭神と言われている。

祝詞の中に出てくるこの比木と千木、今後とも研究していきたい。