2014年2月28日金曜日

煎茶道

この春の披露宴において、新郎様の      
お母様のご要望で、余興の時に、
煎茶道の貴人点前(きにんてまえ)
で、私が、高砂の息子娘に、お茶を
出したいのよ、、、」と言われ。

「お茶」の千家や裏千家と言われる
抹茶の茶道かと思ったら、煎茶道
と言うのがある事、今回初めて
知りました。

なかなかインターネットで検索しても
良い資料が出てこず、『煎茶道の
すすめ』と言う本を全日本煎茶道連盟から取り寄せて読んでみました。、

煎茶の始まりは、奈良時代、天平元年(729年)聖武天皇が僧たちに茶を
賜ったといわれています。その頃のお茶は、飲料としてよりも、薬用として飲まれ
たもののようです。
鎌倉時代に栄西禅師が、中国から茶の種を持ち帰り、当時の中国のお茶の飲み方
を伝えられた。 それまで、日本では茶の木の栽培は行われておらず、お茶の飲み方
も、煎じて飲んでいたのですが、栄西禅師によって、茶の種がもたらされて、広く茶の
栽培が行われ、飲み方も、茶の葉を粉にして飲む抹茶としての飲み方が普及するように
なりました。
鎌倉時代の三代将軍源実朝が、二日酔いに苦しむことが多かったとき、建保二年
(1214年)二月、お茶を飲むようにすすめられ、その効き目が大きく、お茶を飲む
風習が広まった
煎じ薬として飲む ⇒ 抹茶として飲む ⇒ 煎茶として飲む

江戸時代末期から、形式主義におちいり、規則にしばられるようになっていた
「茶の湯の世界」に批判的であった文人たちが、煎茶の世界に形式、礼法を定め
るこなく、自由な精神で広がった。やがて、煎茶にも一つの形式、流儀として煎茶
を楽しむ派と流儀にこだわらない煎茶派と二つの流れができる。
煎茶の歴史をみていると、お茶そのものの変化があります。
煎茶が生まれ、さらに玉露が生まれ、製茶技術も進んで、上質なお茶が作られる
ようになった、そうすると飲み方の流派は、各地にその土地の風習とも関連して
生み出されました。その中でも、日本に煎茶を広めた、『売茶翁』の顕彰から
始まった「高遊会」から、現在、全日本煎茶道連盟には、三十九流派が活動して
います。

お茶の知識
お茶の製法により分類できます。
不発酵茶―蒸し製緑茶(日本式)
        ・玉露 ・抹茶(碾茶)・煎茶・番茶
      ―釜炒り茶(中国式)
        ・嬉野茶・青柳茶
半発酵茶―・烏龍茶・包種茶
発酵茶――・紅茶
                        
玉露(ぎょくろ) 
覆下園(ふっかえん)、つまりおおいをした茶園でつまれた若い葉
からつくられる最高級のお茶。蒸気で手早く蒸され、揉みながら乾燥してつくられる。
針のように細くよられ、手揉みのものが最高級。
抹茶
玉露と同じく、覆下園のお茶で、蒸したあと揉まずに、そのまま乾燥させ、ひろ葉と
してつくられ、保存し、必要に応じて粉にする。粉にすると長持ちせずに、味も香りも
悪くなる。
煎茶
太陽光線をいっぱいに受けた茶園から摘まれた葉を蒸気で蒸して、揉捻しながら
乾燥するもの。玉露に比べてやや高温で処理される。飲まれるときも、高温の湯
で飲まれる
番茶
つみとられる時期によって、一番茶、二番茶といわれ、一番茶が上質のお茶と
なりますが、高級茶をつみとった後、古い葉とともに、刈り取られた葉でつくられる
お茶のことで、一番下級のお茶となります。しかし、番茶特有の風味も良く、
ほうじ茶などにすれば、味も、香りもよく、美味しいです。

毎朝、仏壇にお茶を添えますが、母が生前、薄い目にしてやーーと言われていた
ので、母は、薄いお茶が好きと思いながら、淹れているだけでした。
毎朝お茶を淹れているものの、温度や時間、湯の量など考えたこともなく
今回の結婚式の打ち合わせの際に、新郎母よりお話頂き、煎茶道というのが
存在すること、お茶が製法により色々と存在することを知りました。
本当に、日本人は、色んなことを日常の生活から工夫と使い方
そしてそこに、精神性、礼法、おもてなしの掛け軸や植物など規則をいれて、
作り上げていくのが、歴史を作り上げいくのが良い。
自然との共存共栄なのだと思う。





2014年2月27日木曜日

直会(なおらい)と神人共食

直会(なおらい)をして欲しい!
前回1月に行いました、良縁祈願参拝
と祝詞勉強会の後のアンケート用紙に、
『次回は、直会をして欲しい』と言う
コメントを頂きました。
直会(なおらい)って言葉を御存じな
んだと言う驚きと、よし次回4月13日
勉強会は、「直会」を企画しようと決心
しました。

この直会って何でしょうか?『神道事典』
によると、祭における酒宴行事のこと。
一般には祭典終了後、神饌を下げて
それを戴く宴会と理解されているが、
直会は祭典を構成する一つの行事である
大祭式、中祭式、小祭式いずれの祭祀に
おいても直会行事を行うことが定められる。
 

称徳天皇の宣命に「今日は新嘗の猶良比     
(なおらい)の豊の明聞しめす日に在り」と
いう表現が見える。大嘗祭、新嘗祭の後に
「猶良比」が行われ、これが豊明節会(とよ
あかりのせちえ)と呼ばれ、ここで白酒・
黒酒を群臣に賜っている。
ナオライの「ナオル」と言う語は、直日神 
(なおひ)の直と関係があると考える説も
ある。すなわち神祭の終わった後、座を
かえて直日神を祭ることが本義で、神祭
における種々のあやまちを正す儀である
と解するのである。

ナホルは「食膳に向かって着座する」意
で、アフは「一同会する」意であるとする
説も出されている。                   

神饌には、古くから神の出現・降臨を願
い、神をもてなし、しばしば
神人共食つまり神と人が
共に食事をするというのが
日本の祭りの特徴とされる。

酒、水、塩、穀類、草実、蔬菜類、鳥獣
魚介類など、人が採取し作りうる最高の
ものを、最上に飾り付けて備えられた
と考えられる。

日本人のこの直会の神人共食とも
相嘗とも言う考え方が、本当に美しい
と思う。
三三九度の儀の際、お酒が、神の
御魂が入り、御神酒(御魂酒オミキ)
になり、それを新郎新婦が戴くことに
より、見えない糸で縫い合わされる。
契りが結ばれる。神の恩賴(みたまの
ふゆ)を戴く。この考え方がとても
日本人は、神々と一緒に共に、
生きてきたんだなーーとご先祖からの
考え方に感動する時です。

直会やります!!平成26年4月13日、芝東照宮においての、良縁祈願参拝と
祝詞勉強会の後、近くのレストランにて行います。是非、参加してください。
今回は、伊勢内宮神前祝詞と稲荷大神秘文を勉強します。
いよいよ、天の神、地の神を味方につけて、運気をアップしていきます。
宜しくお願いいtします。

2014年2月26日水曜日

ビリケンさんがやってきた

ビリケンさんがやってきた!           

大阪人なら誰でも知っている
と言われたーーのですが、
45歳のこの大阪人は、知りま
せんでした。
大阪の南の象徴(昔は、)
通天閣の五階には、ビリケン
広場と言うのがあるらしいです。

「福の神」「縁結びの神」と
言われているビリケンさん。

ビリケン(BILLIKEN)の歴史は、
1908年(明治41年)アメリカの
女流美術家 フローレンス・プリッツ
という女性アーティストが、夢で見た
ユニークな神様をモデルに制作した
ものと伝えられています。
トンガリ頭につりあがった目という、
どこかしらユーモラスな姿は、
たちまち「幸福のマスコット」「福の神」としてアメリカを
始め世界中に大流行しました。日本でも花柳界などで
縁起物として愛されていました。世界的な流行を受けて、1912年(明治45年)
オープンした大阪の「新世界」の遊園地「ルナパーク(月の園)」では、
さっそく「ビリケン堂」を造りビリケンを安置。
これは大当たりし、新世界名物としてその名をとどろかせ、ビリケン饅頭や
ビリケン人形などのみやげ物まで作られました。また「福の神・ビリケン」を
七福神に加え、「八福神めぐり」なども流行したと伝えられています。

私の大好きでご好意にしている、お坊さんに、ビリケンさんが、呼んでるよ
と言われ、購入しました。 BUAの新宿店にお祀りしたいと思います。

ところで、名前の由来を調べると、ビリケンさんが誕生した、当時のアメリカ大統領
のウィリアム・ハワード・タフトのウィリアムの愛称「ビリー」に、小さいを表す
接尾語「-ken」を加えたのが名前の由来とされています。

ビリケンさんの足の裏を撫でて、笑うといいことがあるらしいです。



2014年2月25日火曜日

知・好・楽

「知・好・楽」と言う言葉を知って    
いますか?私は、すごく好きな言葉。
この言葉は、『論語』に出てくる
「子曰、知之者不如好之者、
好之者不如楽之者」から
きています。

「之を知るものは之を好むもの
に如かず。之を好むものは之を
楽しむものに如かず。」

つまり、
「知るということは大切
だけれども、それを好んで
やるのには及ばない。
好んでやるのはいいけれど、
楽しんで仕事をするのには及ばない。」

仕事をする時に、その仕事、職場には、縁を頂いて、天から与えられて、私は
今ここで、仕事をしていると天命を知り。感謝をして臨めば、楽しめるのでは
ないか?

なかなか、難しいことではあるが、、アスリートのインタビューを聞いていると
すっきりと笑顔の選手は、今の自分を出し切れました、楽しめました、
自分を信じて、望みました。と話をされている選手が多いです。

「人生無駄なし」と今の自分の足元をみて、
しっかりと楽しみながら、歩んで行きたいです。

2014年2月24日月曜日

格物致知と八咫鏡(やたのかがみ)

昔、小学校の片隅にあった、           
二宮尊徳の像は、よく見た像である。
山からマキを積んで隣町まで売り
行き、生活をした二宮尊徳は、
勉学をする時間を作るために、
マキを運んでいる時も勉強した
努力の人。やがて、国を豊かに
する農村復興政策を行い、
人々を豊かにし尊敬されている。

そんな二宮尊徳が手に持っている
本は、『大学』である。

『大学』と言う書物は、「大人」を作る本。
「小人」は、自分の為に生きる。
「大人」は、他人の為に生きる。
そんな『大学』のなかで、有名な個所が、『格物致知(かくぶつちち)』の出てくる所

「古(いにしえ)の明徳(めいとく)を天下に明らかにせんと欲する者は、
 先ずその国を治(おさ)む」
「その国を治めんと欲する者は、まずその家を斉(ととの)う」
「その家を斉(ととの)えんと欲する者は、まずその身を修(おさ)む」
「その身を修(おさ)めんと欲する者は、まずその心を正(ただ)す」
「その心を正(ただ)すと欲する者は、まずその意(こころばせ)を誠(まこと)にす」
「その意(こころばせ)を誠にせんと欲する者は、まずその知を致(いた)す」
「知を致すは、物を格(ただ)すにあり。」

「物を格(ただ)す」とは「自己自身を正す」こと。

古事記に出てくる、日本の神話の中に、
天照大神が天孫ニニギノミコトをこの国に送り出し
になられる時に、ご自分のお持ちになっておられた
御鏡(八咫鏡:やたのかがみ)を与えた。
「この鏡を見ること常に我を見るが如くせよ」と、
それは「鏡を見て知を致せ」ということ。

自分に与えられたる知をちゃんといつも正常に
保つには、日々三省する。
毎日、毎日を寝る前に振り返り、反省し明日に
つなげることなのか、
神棚の鏡を見て、心静かに、日々振り返る。

2014年2月23日日曜日

水で出来てる!と感じる時

水、人間の体は、約60%の水分で出来ていると言われる。体液と言う形で、身体の栄養分、不要分を循環させる役割があるという。
この人間の体が水で出来てる!と感じるのは、やはり滝の中である。11月~2月頃、奈良の三輪山の滝に入ると本当に冷たい。その冷たさは、表現すると、夏にカキ氷を食べた時に、頭が、「キーン」となる感じの現象になる。突然に入ると心臓麻痺になるから、まず、足を流れてくる冷たい滝の水に浸しながら、滝の神様、水神さんに安全とお力を頂けるように祝詞を奏す。そして、いよいよお水を頂く時は、心臓から遠い、手先、足先から水をかけていく。左手、左足、右手、右足、そして右の肩から戴く。

両肩から、首の裏、やがて頭のてっぺんに戴く。頭の頭蓋骨を感じる。頭蓋骨が、脳を守ってくれているのだな、と感謝をする。そして頭のお皿に滝の水をいただき、頭が河童の頭のように水が四方八方にとびちっていると感じる時、10秒も経過するとやがて、カキ氷状態の「キーン」の状態になる。

私の目安は、滝の中で、「祓戸の大神」を唱え、気が下腹のタンデンに行った時から、『般若心経』を10巻唱える。その時に様々な現象を経て、やがて、水となる。

自分の身体を水に戻す、水=滝に一体化した時、ミゾウチの辺りから胸の辺りに、本当の自分がいることを感じる。これが「心」と言うのか、「魂」というのか、浮かびあがる自分がいる。その時、この地球、大地からの借り物である身体が、大地、水、滝と一体化しているのだと感じる。この世に存在しているもの、現象、苦しみも悲しみも、喜びも楽しみも、全ての喜怒哀楽にまで、感謝の念が出る。今の現実の世界、手、足、耳、目、鼻、口、頭、小指、中指、親指、心臓、肝臓、膵臓、腎臓、脾臓、五臓六腑、それを下さった、父、母、祖父、祖母、ここに行かせてくれた、妻、子供、会社、社員、すべてに感謝する。心願のすべてがなくなり、ただ、「ありがとう、ありがとう」と感謝の念だけが出る。

ああ、やっぱり人間は、水で、この水で出来た身体は、大地からの借り物なんだと気が付く。

結婚式の時に行う、三献の儀(三三九度)は、神さまにお供えした、お酒=御神酒(おみき:神さまの御魂の入ったお酒)を酌み交わし契りを結ぶ。お酒もまた水で出来てる、この神さまから戴く、水を夫婦が酌み交わし契りを結ぶのはとても、厳粛で、意味が深いと思う。見えない神の力が入っているお酒(水)を二人が同じ盃で飲むのは、見えない糸でつなぎ合わされている。縫われている。

また、水合わせの儀、別々の土地(家)・水で育った二人、それぞれの家の水を持ってきて、その水を合わせる。この水を合わせるのもまた意味が深いと思う。今度の結婚式において、この水を合わせた後、新郎の母が先生をされている、煎茶道でお茶を淹れる、淹れたお茶を母から新郎新婦へ、それを貴人点前(きにんてまえ)と言うらしい、楽しみです

2014年2月22日土曜日

隠れミッキー

隠れミッキーって勉強しました。        
ディズニーランドには、子供がまだ、
小さい頃に数回連れて行きました。
その時分は、あまり意識もしなかった
この「隠れミッキー」、今頃ですが、
すごく夢があるなと思います。

新郎新婦を含めて、10人~
40人ぐらいまでの家族だけの
結婚式(参列して頂いた親、
兄弟姉妹、伯父伯母の親戚、
いとこまで)において、神前式
や人前式、キリスト挙式など、         
挙式をした後の会食会(披露宴)          
は、とても大事な瞬間です

家族だけの少人数結婚式で
あるがゆえに、挙式後の会食会
(披露宴)は、参列の新郎側と
新婦側が、新郎新婦の縁で
『親戚』となる瞬間
なのです。

それが、故に、やはり両家は、
やはり緊張をしています。
通常の呼ばれている披露宴では
ゲストは、座っているだけで、             
ホテルや会場のスタッフの方が
料理を運んで来たり、その席で
余興を見たりと言う感じで、隣の
人とは、話をするけれども、特に
ゲストとして呼ばれた人々としては
披露宴の余興が担当でなければ、
座って、見て、拍手してという
感動もちろんして、良い結婚式と
なるものの、ゲストが何かしないと
いけないと言うのは、少ないです。

それが、家族だけの結婚式と
なると、やはり家族、親せきが、
どうにか、交流して欲しい、仲良く
なって欲しい、限りある時間の中
で、少しでも話をして欲しい。
新郎新婦の願いはそれら、          
家族の交流、絆作り、
このメンバーで当分は、会えない
と思うから、、、

その家族作りのお手伝いにおいて
のキーワードは、
『全員参加の結婚式』
と思っています。家族親戚が、それ
ぞれに、参加して頂き、思い思いに
新郎新婦を取り囲み、ワイワイと
アットホームに温かい結婚式
                            
先日の新郎新婦様は、そんな全員
参加の家族結婚式に、二人の大好きな
ミッキー、それも「隠れミッキー」を
探せーーーで、全員が、参加して、
楽しみました。

二人がもっと大切に思っている
家族、その家族に楽しんで頂きたい
両家の家族が仲良くなって頂きたい
と言う願い。美しい、
『家族の絆』の結婚式でした。



2014年2月21日金曜日

四つの大綱と公の心

四つの大綱の話を聞いた事ありますか? 父より昔紹介してもらった、儒教や人間学の先生
安岡正篤先生の言う、国と人に大切な、『四つの大綱』

一つ目、礼。
先生、親、先輩、年配者、それぞれに対する礼。
ただ頭をぺこんと下げただけの礼ではなく。真の礼は、神道の神主さんが行う、
腰を90度に折り曲げる礼。

普段そこまでできないにしても、ちゃんと立ち止まり、きちっと礼をする、
おざなりではない、しっかりした礼が必要だ。
礼に始まり礼に終るのが、日本の心だから。

ニつ目、義。
信義や、忠義、あるいは道義といった、守るべき大事な価値観
倫理道徳という言葉さえ、死語のようになってしまった現代では
あるが、今一度、「義」を重んじる。

三つ目、廉。は清廉のこと
廉(れん)とは、清廉(せいれん)。心が清らかであり、私利私欲がないこと。
政治の世界も、一部の企業も、損得で動くことが多い。
天下国家のため、世のため人のため、という視点が欲しい。

四つ目、恥。
恥の心、日本人は、昔から田畑を耕す農民が多いから、隣近所の人たちと
村全体で、一緒に田植え、一緒に稲刈りを助け合ってやってきた。
今日は、内の田んぼ、明日は、隣の畑に助け合いをした。
そんな中では、隣の台所に何があるぐらいまで知ってしまう。村の子供は、
親から、「そんなことをしては、家の恥だ!」「ご先祖の恥だ!」と
親、ご先祖に恥をかかすわけにはいかないと、躾(しつけ)された。
その他人に見られているという、責任感と緊張感が、恥の文化を作った。
そんな恥の文化が、「卑怯なことはしない」、恥ずる心があれば、
礼や義や、廉を忘れることはない。

現代の日本の危ういところは、現代人が
公の心を忘れていることだ。

公とは、自分の損得より先に、人の喜びを考
えるという、公平無私の姿勢だ。
この公の心があるからこそ、
「人の見ていないところでも、ごみを捨てない」、
「お天道さまに恥じないことをする」、
「人様にご迷惑をかけてはいけない」、
という気持ちが生まれる。
 
公をなくしてしまった人は恥ずかしい。

それは、弱いものをいじめる人であり、自分だけよければいい人であり、
気遣いのない人であり、惻隠の情のない人だ。

国の滅亡も個人の滅亡も同じだ。
四つの大綱と公の心を忘れたとき、
国も、人も滅びる。

お天道様(神さま)が、見てるよ!とか、
親に恥をかかすな。と言う言葉は
幼い頃、母に言われた。
この自分を戒める心、慎む心(慎独:しんどく)
や公の心は、もう一度大切にしたい事です。

2014年2月20日木曜日

天・地・人

天・地・人の言葉の概念が意味深い。勉強していくと、日本人はこの天地人を色々な面で考えてきたのだと感じます。 
実は、第八回良縁祈願参拝&祝詞勉強会の日が、四月十三日に決まりました。この回での勉強する祝詞は、伊勢内宮神前祝詞と稲荷大神秘文の二つになります。
その稲荷大神秘文の祝詞の中に、天(あめ)に次玉(つくたま)、地(つち)に次玉(つくたま)、人に次玉(やどるたま)と出てきます。また、「古事記」の中に出てくる国常立尊(くにとこたちのみこと)が、天地開闢(てんちかいびゃく)の時、天と地が分かれた際、大地に立ち、稲荷の神とも豊受の神とも言われる、宇迦之御魂命(うがのみたまのみこと)に、天地人の玉を授けたとされる。
日本の神道の世界では、宇宙、太陽、月、地球、山、海、雨、雷、川、沢、火、風、自然すべてとの共存共栄を重んじ。この自然を八百万の神々と恐れ多く感じ、天そして地を味方につけて、日本人は、遠い先祖の時から生きてきたのだと思います。
そんな『稲荷大神秘文』を四月十三日には、勉強します。

さて、易経の中では、この天地人を「三才」と呼びます。そしてそれは、陰と陽と中です。
天地の間で常に万物が循環するというのが三才の理で、一陰一陽は各々偏った存在ですが、中がその陰陽を備えることによって和します。「天の時、地の利、人の和」といいますが、人が和すときは天地も和して万物が育ち、全てがうまくいくということです。

宇宙の万物を象徴した天地人三才は、生け花、茶の湯、書道などの日本の伝統文化にも深く根づいています。

孔子が作ったという『易経』の説卦伝に、「天の道を立つ、曰く陰と陽と。地の道を立つ、曰く柔と剛と。人の道を立つ、曰く仁と義と。」と記されている。ここでは仁や義という人間の徳を,陰陽・柔剛という自然の理法に順応するものと考える。すなわち,人間は自然と対立することなく,自然の調和を人間界に求めようとするもの。

まさに、これは、神道の考えと同じです。日本人が大切にしてきた心がここにあります。

 
天地の心を人が実現するという説に当てはめてみれば、「理想」は天、「現実」は地、「実現」は人であり、この天・地・人「三才」を一貫する者、すなわち理想を空想にしてしまうことなく、熱烈に心の底から喜び、願い、求め、しかも確乎(かっこ)として現実に立脚しながら、着々と理想の実現に努力する真剣な生活者を「王」と言う。漢の時代の『説文解字(せつぶんかいじ)』(許慎著、漢字の成り立ちを説いた書)には、王の字の「三」は、天・地・人三才を表わし、真ん中の「l」は、一貫して実現するという意味を示すものであると説かれている。

天地人の勉強は、神道の大切にしてきた自然に通じます。永い日本人が大切にしてきた、自然との共存共栄、八百万の神々を恐れ多く大切に祀り、助けれら、支えられ、感謝をして、生きてきた生活をしてきたご先祖に敬服します。
 

2014年2月19日水曜日

謙虚な心

謙虚という言葉の意味は、なかなか難しい。経営者の立場で、「謙虚な社長」と言うのは、良いとされる。この謙虚を「謙」と「虚」に分解すると、「虚」の意味は、「空っぽ」や「悪い心を持たない素直な気持ち」となる。では、この「謙」は、何か? ただ単に、謙を辞書で調べると、「へりくだる、相手を敬い自分を控えめにする」と出てくる。
昨日勉強した、易経の第十五番目にある、地山謙(ちざんけん)を今日は、紹介する。この解説が、とてもためになる。

地山謙は、このブログでは、横書きであるが、本来は縦書きに書くとわかりやすい。つまり、地、大地の下に山が来るイメージ。大地の下に山があるはずがないが、形や絵でイメージすると易経は理解しやすい。 大きな山が、平坦な大地の下にある、これが、「へりくだる」に意味をする。
謙は、富有(ふゆう)になっても決して驕(おご)り高ぶらず人に謙(へりくだ)ると言う意味。

(原文の意訳)
謙は亨(とお)る。天道は下済(かせい)して光明(こうめい)なり。地道は卑(ひく)くて上行(じょうこう)す。天道は盈(えい:たっぷりとある)を虧(か:かけていく)きて謙に益(えき)し、地道は、盈(えい)を変じて謙に流れ、鬼神は盈(えい)を害して謙に福(さいわい)し、人道は盈(えい)を惡(にく)みて謙を好む。謙は尊(たっと)くして光り、卑(ひく)くして踰(こ:こえる)ゆ可(べ)からず。君子の終わり也。

(現代語訳)
富有になっても驕り高ぶらず人に謙(へりくだ)る君子は、何ごともすらっと通る。天の道は氣が下(くだ)り地に交わって萬物(ばんぶつ)を生成し、光明(こうめい)盛大である。地の道は卑(いや)しく下に在り、氣が上(のぼ)って天の氣と交わり萬物を化育(かいく)する。謙は人の守る道、天地皆謙の道に由(よ)る。
満月は新月へ向かい(つきの満ち欠け:盈虧)、極暑(ごくしょ)は極寒(ごっかん)へ向かうように、天の道は満ちているものを減らし謙るものを増やす。火山が噴火して谷を埋めるように、地の道は満ちているものを謙るものへと変化流通させる。天地の神々は満ちているものには禍(わざわい)を蒙(こうむ)らせ謙るものには福を授(さず)ける。人の道は満ちているものを悪(にく)み謙るものを好む。謙の徳は尊く光り輝き、卑しい者が踏み越え凌(しの)ぐことはできない。君子が終わりを全うできるゆえんである。

謙(へりくだる)虚とは、ゴマをすることではなく、心は、素直で清らかに、そして言葉や行動をつつしみ、相手を敬い素直な態度で接するさまになる

論語の「七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず。」
の部分に通じるように思います。
なかなかできない、『謙虚』。
しっかりと自分で身につけていきたいです。



2014年2月18日火曜日

就職活動について

就職活動をしている学生さんから、就職の相談を受けた。私の学生の頃の就職活動を振り返って考えてみても、あまり参考にならない。当時は平成四年と言う、バブル経済最後の年(後から考えると)で、しかし各企業には、今は一時的に経済が落ちているけれども、またすぐに戻るよ、と言った考えのある時期でもあったので、学生は、企業を選ぶ立場だったからだ。

大学の卒業者名簿を購入し、行きたい業種や話を聞いてみたい業種の会社にいる、OBへ電話をする、、「〇〇大学、経営学部の川辺ですが、〇〇様いらっしゃいますでしょうか?」最初の五社ぐらいまでは、電話越しでも緊張をして、正座をして、汗をかきかき電話をした。
五社過ぎた頃から、馴れない丁寧語もなれるようになり、流暢に口が回るようになる。
よし、昼は、メーカーで、三時は、銀行で、夜は商社のしよう。と当時住んでいてた横浜から、
東京まで毎日大学の初めてお会いするOBに話を聞きに行く。
初めから、毎日行く予定だったので、定期まで購入した。
お昼は、メーカーに行くとランチを御馳走してくださった、そして御馳走の後に、当時のベストセラーの『面接の達人』(めんたつと呼んでいた)のマニュアル通りに、御礼状のはがきを書く。
昼ごろは、ほぼターミナルにいたので、百貨店の屋上で休みながら御礼状を書いた。
書いた頃には、三時になって、銀行の締まる三時にお茶を飲みに行く、銀行は、大学のゼミが「銀行のゼミ」だったし、卒業論文が『ユニバーサル銀行に変貌する日本の銀行』を書いていたこともあり、訪問していた。 夜は、本命の商社。商社の先輩は、いつも七時頃、どこかのレストランで夕食を御馳走してくださった。
そんな、ランチ、お茶、ディナーの毎日が私の就職活動だった。
毎日会う先輩から、その一年上の先輩に紹介をして頂き、一年上に上がることが、面接合格の標だった。

五十社八十人ぐらいの先輩にお会いした頃には、自分自身も就職の方向が決まっていた。
始めは、住んでいた下宿の隣の部屋の同じ年の先輩(私が浪人で大学に入ったので)に
誘われた銀行に、行く気は、なかった。
三時に、なかなかどこの会社も会ってくれなかったが、銀行だけがどうも三時が都合が良いと言われて、お茶を飲みに行ってたつもりの銀行が、私の行きたい会社になっていた

いや違う、銀行員になりたいのではなく、あの当時の「〇〇先輩」になりたかったのだ
先ほど書いたように、OB訪問をしていくと、どんどんと上の先輩にお会いする。すると、面白いことに入社十年目の先輩は皆、業種ではなく、その会社によっての顔が違うのである。同じ業種でも全然顔が違い、話し方も、スーツの着方も、違った。

就職活動は、どの業種に就職するかで始まったが、どの会社のどんな先輩に成りたいか、自分が就職して社会人になったら十年目にあんな人間になりたいと言う会社に方向が決まった。

そんな、人を見るようになっていた。生意気な学生が、私の就職活動である。

今は、どんな状況かと言うと、企業の方が強く、学生の立場の方が選ばれる立場で弱い。また、終身雇用ではあるが、ずっと同じ会社にいようと思っている人は本当に少なくなった。
安定や終身雇用を望むのであれば、公務員か小中高や大学の教員、なのか?
また、生き残っている企業は、ほぼ国際企業となり、英語が社内公用語となっている会社が多い。大学で勉強している内容と企業が求めている人材が違うのではないか?
業種もメーカーからサービス業の方が、就職口が多くなっている。サービス業に行くのであれば、美容師や調理師や国家試験の免許を持っている方がいい。

しかし一番の問題は、大学や専門学校を卒業し、就職する時までに自分は何になりたいのか、将来が描けないことか?しかし、私自身も就職活動をして沢山の企業の沢山の先輩にお会いして始めたわかったようにも思う。使命や天命と言うのもよく話もするが、実際にわかったように思うのも四十歳になってから、、、

唯一つ言えることは、何か一つ長く続けることが大事なのではないか?
『自分が好きでずっと続けていること』これを持つ人間が、人物が、どの業種に行くにしてもどの企業に行くにしても、企業の人間が欲しい人物なのかもしれない。
自分が好きで継続していることを今日からでも自分自身で見つけて、動き出すべきと話をした。

今、今日、成長している人気企業が、十年後、二十年後、どうなっているかは、誰にもわからない
でも自分自身は、自分が決めて進んでいかにといけない、そんな時に、自分を助けてくれるのが、その継続してきた好きな事だと思う。そんな意味でも自分の人生を振り返った時に、これだけは、と言う継続してきたものを持っていると人生が豊かになる。
是非、今日からでも何か一つ始めてほしい。
就職頑張って、、、

2014年2月17日月曜日

朝 西に沈む月

おはようございます。今朝は、西に  
沈むお月さんに逢えました。

満月を調べてみると、次の通り。
満月の時、月と太陽は地球を
間において反対側にある。
これが完全に直線上に乗れば
月食が起こるとのこと

満月の日周運動は
春と秋、夏と冬を逆
にした太陽の日周
運動とほぼ同じになる
らしく、日没頃に昇り、夜半に
南中し、日の出頃に沈むよう     
になる。

だから、夏は南東から昇って
低く南の空を横切り。冬は北に
寄り、南中時の満月は天高く
位置する。そして、春分・
秋分頃は真東あたり
から昇り真西あたり
に沈む。

今日の朝見た月は、真西に近かづており、ああ、地球はやはり公転している。
また、季節は変わっているな、、と思いました。

我々は、宇宙の中にある、地球に住んでいるの
だと、星や星座や月や太陽をじっとながめている
と感じる。
そんな大きな宇宙を考えるとああ、生かされている事。
自分の使命を全うして生きる事の責任と、残りの
人生を全うしようと思う決意に変わります。

今日は、土日に15日だったので17日ですが、
いつものように月参りに参ります。


2014年2月16日日曜日

家紋と関西の女紋の風習

家紋をご存じですか?最近和婚の   
結婚式のご相談において、よくご
質問をしています。
神前式の衣装において、御新婦
様は、白無垢の文様や生地、
髪型、角隠し、綿帽子、カンザシ、
また、色打掛と選択項目が、
あります。
新郎様も同じく、袴の柄や羽織
の色などを選択頂きますが、
やはり黒の紋付の羽織が、定番
で、家紋を実家の家紋に替える
ことが、レンタルの衣装に最初
からついている紋から、自分の
家紋になる。その事が、
自分を出せる所で、
写真にも残ります。

                             
家紋の起源は、古く平安時代後期
にまで遡る。奈良時代から調度や
器物には装飾目的として様々な文
様が描かれてきたが、平安時代に
なると次第に調度品に文様を描く
ことは視覚的な美しさだけでなく、
貴族が各家固有の目印として使う
特色を帯びてきた。そして平安末期
に近づくと、独自の紋を牛車の胴に
付け都大路でその紋を披露して歩き
回り始める。これが家紋の起こりで
あるという説がある。
その後、公家の間で流行し、様々な       
家紋が生み出されていく。鎌倉時代
にかけて徐々に、その後の帰属の
証明や家紋の意味合いや役割に、
発展・変化していった。

家紋の歴史からも、家紋が、その家
の象徴であったことが、わかる。

自分の家の家紋を調べてみると、
面白い。 私の川辺家の家紋は、
『丸に九枚笹』である。笹紋は、竹紋の分かれのようであるので、竹紋に
ついて調べた。
竹は、大和ことばで「たけ」という。これは高く伸びることを意味するとともに
猛きことも意味している。また、竹は神と人とをつなぐ柱であり、竹を依代と
して神は降臨するともいわれる。松や梅とともに新年の飾りにも使われる。
文献としては、『古事記』にはじめて見え、また日本最初の小説『竹取物語』
は、竹の中から人が生まれる話である。
笹紋では「九枚笹」を豊臣秀吉の軍師として名高い竹中半兵衛、石見の戦国
大名でのちに毛利氏の家老となった益田氏らが用いた。
笹紋の歴史を見てみて、ご先祖が、どのような思いで使っていたかも考える。

結婚式の日に、新郎様が家の紋を付けて、むかえることは、すごく良いことに
思います。ちなみに、女性には、女紋(おんなもん)と言うのが、
関西を中心とした地方に残っています
女紋とは実家の家紋とは異なり女系から女系へと
伝える紋章のことであり、実家の家紋とは意匠も
由緒も異なります。
関西の商家では外部から頻繁に有能な入婿を迎えて家を継がせる女系相続
が行われたため、自然発生的に女系に伝わる紋が生まれたといわれています。
特に近畿地方の商家においては「家紋が一つしかない家は、旧家とは言わない」
ともいいます。
現在でもこの風習は根強く残っている。私の母は、やはり紋を持っていました。
その紋は、妹に引き継がれています。
面白い風習と思っていました、また子供のころは何となくうらやましくも思った事
です。

2014年2月15日土曜日

飛龍と大有(たいゆう)

昨日の易経は、火天大有     
(かてんたいゆう)でした。
この卦は、すごく面白い!

最初に習った、太陽の卦
乾為天(けんいてん)に
良く似ている形の卦ですが、
一爻だけ、陽爻が、陰爻に
なっている卦。
その爻(こう)は、五爻で、五爻は、
大体、50代を示します。乾為天と
して、10代、20代、30代と苦労を重ねて、40代で少し回りから評価され
50代に天に昇れる、『飛龍(ひりゅう)』となるのです。ただ、飛龍は、昇って
から、傲慢となり、周りの人の話を聞かなくなり、やがて、六爻=60代になり
亢龍(こうりゅう)として、降って行きます。この降る時には、やはり後悔して
います。

これに良く似た形の卦である、火天大有(かてんたいゆう)は、この五爻である
50代の爻が、陰爻であるが故に、小老を表わし、強さよりも逆に、「柔軟」さと
「柔順」さを身につけています。つまり、傲慢な50代ではなく、偉大な、
中庸(ちゅうよう)の徳を得た、柔順温和の中に
威厳(いげん)を含む50代です。
そのような、50代の君主には、民が、至誠で事(つか)える。
このまま進み、60代になると、乾為天の亢龍(こうりゅう)のように降るのではなく
大有(たいゆう)の極点に居る無位(むい)の賢人となる。
富有(ふゆう)を超越して天命に順い謙譲の心で、天祐(てんゆう)を授かる。

この二つの卦を比べてみると、君主、企業で言う、社長は、どのように
自分自身の人物像を人生を歩むかがすごく勉強になる易経でした。
いや、面白いです。


2014年2月14日金曜日

貪・瞋・癡(とん・じん・ち)を焼き祓う

私の持つ祝詞本の中で、大切に  
しているお経があります。
それが、『仏説聖不動経』
神道の神主が、お経?と思われる
かもしれませんが、修験道の先生
には、御嶽山の滝を頂く時には、
水神さんとお不動さんにも
味方頂き、このお経を上げなさい
と教えられました。

何度も何度もこのお経を上げる
と、お経と言えども、祝詞に近く
意味や内容、身体に沁み渡る
のです。

特に『貪・瞋・癡(どん・じん・ち)』を害し、と言うところ。
これら三つの毒と言われる煩悩をお不動さんの炎で焼き消すのです。

仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、
貪・瞋・癡(とん・じん・ち)を指し、三毒と言います。

貪(どん)は、貪欲。むさぼり求める心。
瞋(じん)は、瞋恚(しんに)ともいう。怒りの心。
癡(ち)は、愚痴(ぐち)真理に対する無知の心。
=「おろか」とも
この三毒をあの炎で焼き祓うのです。
佛説聖不動経 
その時に大會(だいえ)に、一(ひと)りの明王(みょうおう)あり。
是(こ)の大明王は大威力(だいいりき)あり。
大悲(だいひ)の徳の故に。
青黒(しょうこく)の形を現(げん)じ。
大定(だいじょう)の徳の故に。
金剛石に坐(ざ)し。
大智恵(だいちえ)の故に。
大火焔(かえん)を現じ。
大智(だいち)の剣を執(とつ)て。
貪・瞋・癡(とん・じん・ち)を害(がい)し。
三昧(さんまい)の索(なわ)を持(ぢ)して。
難伏(なんぷく)の者(もの)を縛(ばく)し
無想法身虚空同體(むそうほうしんこくうどうたい)なれば。
其の住所(じゅうしょ)もなし。
但し衆生心想(しゅじょうしんそう)の中(うち)に住(じゅう)したまう。
衆生の意想(いそう)。各々(かくかく)不同(ふどう)なれば。
衆生の意(こころ)に随(したがい)て。
利益(りやく)を作(な)し。
所求円満(しょぐえんまん)せしむ。
その時に大會(だいえ)。是経(このきょう)を説(とく)ことを聞て。
皆大いに歓喜(かんき)し。信受(しんじゅ)して奉行(ぶぎょう)したてまつりき。
佛説聖不動経。

2014年2月13日木曜日

『なぜ儲かる会社には神棚があるのか』を読んで、神話に出てくる桧の話。

『なぜ儲かる会社には神棚がある
のか』と言う、本が話題になって
いるということで、読みました。
著者も神棚マイスター窪寺さん
と言う方です。3月中旬にお会い
する予定もあり、購入しました。

この本の「はじめに」に書いてあった
「銀行の融資担当者の多くが、
融資するかどうかを決めるポイント
の一つに、会社に神棚があるか
どうかを挙げている」
確かに、これは、一理あるな、、
私が、銀行員の時代もそのような事を
先輩や、営業課長に言われたことあるな、、と思い出しました。また、
「倒産した企業の85%が、会社に神棚を祀っていなかった」、、、と書いてある
そうか? これは、少し疑問も残るが、神棚がある会社の方が、社員と社長の
心が一つ、商売が、地についているのかもしれない。

この本の著者は、本業が、木材商社の社長さんらしく、木材の面白い話が載って
いたので、紹介します。

なぜ神棚に使われる木は桧(ひのき)がいのか
「神話にも出てくる桧」
『日本書紀』では、素戔嗚尊(スサノオノミコト)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を
退治したあと、「顔の髭をまくと杉。胸毛をまくと桧、尻の毛は槇(まき)、
眉毛は樟(くす)」となったことが記されている。
そして、尊は「杉と樟、この二つの木は浮宝(うきたから)
とせよ。桧は瑞宮(みづのみや)をつくる材料とせよ。
槇は青木茸の奥津棄戸(おくつきすたえ)の棺(ひつ
ぎ)をつくる材料とせよ。また食料としての木の実を
たくさんまいて植えよ。」と言っています。
浮宝とは、船。瑞宮は、立派な建造物。青木茸は人。
興津棄戸は墓所のこと
桧はほかの木と比べ、油分を多く含み、腐りにくく、虫にも強く、長持ちする。
油分が多い分色つやもよく、独特のよい香りがする。

面白い!!ちゃんと神話にでてくるのが、やはり良いです。

神棚は、やはり大事、大切です。

『神は人の敬によって、神霊の威を増す』
いう言葉があります。まさに、日々それを感じます。
神棚に手を合わせ、「ありがとうございます」と感謝を伝え。
毎日手を合わせて、毎日を振り返り、三省しながら、成長する。
「祈り」は、自分自身を強く、ぶれない心をつくります
大切な、神棚のお話でした。

2014年2月12日水曜日

来る者は拒まず、去る者は追わず

来る者は拒まず、     
去る者は追わず

昔、青春時代には、恋愛
の達人に教えてもらい、
経営をするようになって
からは、経営者仲間と
話をする時に、時たま出
る言葉。

昨日、易経の勉強をして
いると、易経八番の中に
この話は出てくる。
八番の水地比は、水と
地(大地)の卦の組合わせ、互いに争うのではなく、和合する卦である。
水が、大地の上に来ることにより、親しみ助け合い和合する。水は、国の王を
表し、大地が民を表す。即ち、和合することにより、万物が育ち生成発展する
ことにより国が豊かになる。物語。その王は、民を束ねる時に、力や権力で、
押さえつけるのではなく、和合、助け合い、思いあい、国を作るのである。
すなわち、その統治の仕方を

古の天子三駆(さんく)の礼    
君の狩猟は四方を囲まず三方を囲み、禽獣(きんじゅう)の逃げ道を
作っておく)に倣って(ならって)『来る者は拒まず、去る者は追わない。』
(王三軀を用ひ前禽を失ふ)

と呼ぶ。大衆は自分から望んで親しみ和合するので、戒める必要は
ない(邑人誡めず)。天下を泰平に導く名君である。

『水地比』の卦、
・卦辞(彖辞)
 比は吉。原筮(げんぜい)して、元永貞(げんえいてい)なれば、咎无(とがな)し。
 寧(やす)んぜずして方(あまね)く來(きた)る。後(おく)るる夫(ふ)は凶
 比は、親しみ助け合い和合するから共存共栄する。親しむべき相手を推し量り、
 察知できないところは占筮するように人に意見を聞き、元(仁)、永(恒)、貞(正)
 の徳を備えていれば過ちは犯さない。不安を抱く人々が集まって来る。
 ぐずぐずして孤立している人は駄目である。

君主、王また、経営者は、仁(相手を思う)の心と
恒(継続する)の心と正(正しい)心を持って、
国の運営、会社の経営をすれば、社員は、
気持ちを同じくするものは、集まり。会社は発展する。
「来る者は拒まず、去る者は追わず」の意味は、深い。
社員みんなと徳を持って接し、気持ちを寄り添い、
志を一つにして成長していきたい。

2014年2月11日火曜日

本日は、大切な「建国記念の日」

本日は、大切な「建国記念の日」。     
『日本書紀』に紹介される、神武
天皇の物語を紹介する。
神武天皇は国内を治めるに
ふさわしい土地を求め、それまでの
日向の高千穂の地からはなれ、
大和に都をつくろうと決心する。

大阪湾から上陸しようとするが、
手強い長髄彦(ながすねひこ)の
抵抗をうけ、兄の五瀬命が流れ矢
で戦死してしまう。
そこで迂回して熊野に上陸し、大和
を目指す。険しい山中で悪神の毒気
にあてられて病気になり、軍勢の
士気はふるわなかった。ただ天照     
御大神の神助があり、巨大な頭
八咫烏が道案内をしてくれる

天皇は抵抗する豪族を討ち平らげ
て、進軍をつづけた。いよいよ
強敵長髄彦(ながすねひこ)との
決戦を迎える。だが、いくら攻めても
勝てなかった。すると、空が急に
かき曇って雹(ひょう)が降り始める。
どこからか一羽、金色に輝くトビが
飛んできて、天皇の弓の先に止
まった。トビは稲妻のように光って
敵軍の目をくらました。力戦の末、
ついに長髄彦に仕えていた
ニギハヤヒノミコトが、長髄彦を
ほろぼす。 このようにして神武天皇は大和を平定し、畝傍山の東南の地
に立派な宮殿を造って、初代天皇の位についた。

『日本書紀』に出てくるこの紀元節の日は、「辛酉年春正月 庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮」

神武天皇の即位年の「辛酉年」は『日本書紀』の編年(720年(養老4年)に成立)を元に計算すると西暦紀元前660年に相当し、即位月は「春正月」であることから立春の前後であり、即位日の干支は「庚辰」である。そこで西暦紀元前660年の立春に最も近い庚辰の日を探すと新暦2月11日が特定される。辛酉年春正月庚辰」は紀元前660年2月11日とした。

今日は、皇紀2674年2月11日となる
建国、国という、概念をどうしても、我々は、忘れてしまう、それは、この地球を
取り巻く、酸素や天から降る雨のように、水も、、生命には、必要な酸素、水は
当然のようにあり、感謝を忘れる。
国、他の国から攻めてこられることがないとなかなか国が我々を守って
くれている、国が安定して、貨幣の安定をつくってくれている。
働いても働いても、自国の通貨が安定しないと、昨日100万儲けたとしても
翌日には、それが100円の価値になってしまう国さえあるのに、、

アメリカ留学中の平成6年頃のトルコは、そうだった。友達のトルコ人がいつも
なげいていた。銀行に預けたお金が、どんどんと価値が下がる。
そんな国には、あのビットコインが必要なのだろと思う。

さあ、今日は日本の国の誕生日。大切な日です。

2014年2月10日月曜日

かがり火挙式

今日は、芝大神宮にて、
かがり火挙式 
のお手伝いがあります。
一日一組限定で、夕刻暗くなってから
の挙式。11月下旬頃~2月中旬迄の
期間限定の演出になります。

かがり火と言うのは、幻想的で、また
大人な雰囲気が、あります。
先日のNHK大河ドラマの中にも
結婚式のシーンがあり、家の屋敷
において、夜の祝言のシーンが
ありました。

かがり火には、どくとくの温かみが    
あり、また幻想なそして厳粛
な雰囲気を作ってくれます。
そして、浄闇に灯るかがり火が、
希望に満ちたお二人を暖かく包みます。


火には、神を呼ぶ力、神に知らせる力が
あるのだと、聞きます。
神棚にローソクを置くのは、神道では
修験道の方がされます。すろと、祝詞を
上げて、祈念をしていくと、そのローソクの
火がどんどんと変化します。
神が来てくれるとやはり炎が大きくなり
力が付くと、パッパッパッとなり
神聖な空間になります。

神道と火は、とても強く
結ばれるのだと思います。



2014年2月9日日曜日

息子・娘に秘められた、「神道」にも関係する話

息子と過ごした、大雪の夜、首都圏
の大雪は、36年ぶりの25cmと
言っていましたが、良い思い出とな
りました。 そして、相変わらずの
息子話、一昨日の金曜日は、家内
が夜遅く、夕食を私と息子三人の
男四名で頂きました。 その時、
びっくりしたのご、一回の夕食
五合焚いたご飯が、空っぽ、、、
これが、息子の育ちざかりか、、
一番下の7歳が今の長男14歳に
成った時、おそろしいーーー
そこで、今日は、神道にも関係
する息子と娘の話。

親は子供を息子・娘と呼びますが、ふとなんでかな?と興味を持ち、調べてみました。

このことばは「むす・こ」「むす・め」と分解でき、「むす」とは、「生す(むす)」
や「産す(むす)」の字が当てられ、発生する、うまれる、はえるとの意のようです。
「苔むす」といえば、語感がよくわかる。

「こ」とは、子供、小さい者、親愛なる者の意で、子・児の字が当てられます。
「め」とは、お(男)に対する語で、女性を示し、女・雌・妻などの字が当てられます。

春になり、慈雨がしたたると、万物が一斉に芽吹き、自然の胎動が始まる。
その根本の力を古代ムスヒ(産霊)と表現してきました。万物を生みなす
霊力のことで、このはたらきによって、植物も動物も、人間さえも生まれて
くると考えられていました。

『古事記』の最初に、世界の始源の表現があります。

天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原に成りませる神の名は、
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神
(たかみむすひのかみ)、神産巣日神(かみむす
ひのかみ)此(こ)の三柱(みはしら)の神は、並独神(みなひとり
かみ)、成り坐(ま)して、身を隠(かく)したまひき。

ここに最初に出現した神々を、天之御中主神すなわち天の中心にいる
あるじの神と、高御産巣日神および神産巣日神すなわち「ムスヒ」の神
と伝えています。この神々こそ万物生成の根源と考えられた霊力を
意味する神です。
『古事記』において、世界の根源、万物の始源
に「ムスヒ」のはたらきがあると伝えられています。
「むす・ひ」の「ひ」は、日・霊の字が当てられ、
「太陽のもつすぐれた力に対する信仰から生ま
れた観念」とされています。

産霊(ムスヒ)の信仰は、太陽のもつ限りないエネ
ルギーに対する感謝、信仰があるのだと思います。

そんな生霊(むす)子を大事にしないと、、

本当に、昨日は、家族で大雪の体験、生涯忘れない思い出です。

2014年2月8日土曜日

私の大好きな詩

私の大好きな詩に、坂村真民   
先生の「あとからくる者のため
に」が、ある。
この詩は、人間学の雑誌、
致知(ちち)中で出会った詩。

夜寝る前に、子供(三男)の
寝顔を見ると疲れが全て
吹っ飛び!この詩を思い出す。

また、坂村先生の言葉で、
『念ずれば花ひらく』
これもよく、父が、「好きな言葉だ」と
口にする。

そんな坂村真民先生の「あとからくる者のために」を紹介します。

「あとからくる者のために」   坂村 真民

あとからくる者のために  
苦労をするのだ  我慢をするのだ
田を耕し種を用意しておくのだ

あとからくる者のために   

しんみんよお前は  詩を書いておくのだ

あとからくる者のために 山を川を海を    

きれいにしておくのだ

あああとからくる者のために     

みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
未来を受け継ぐ者たちのために
みなそれぞれ
自分で出来る何かをしてゆくのだ



自分自身は、何が残せるのか?
いつも、疲れを取ってくれて、ありがとう!
さあ、今日もがんばるで!
 

2014年2月7日金曜日

仁義の道は、信頼を作り、一致団結を産む。

昨日読んだ、吉田松陰の
本の中で心に残った一文。

戦いにあって勝利を得る
ためには、君臣(リーダ
とその部下)が一致団結
しなければならない。
一致団結するためには、
お互いの信頼がなけ
ならい。信頼を得るた
めには、仁義の道を根本
として自身の心を正しくし
なければならい。

孟子が言う、義によって自分自身を修めることがなければ、生きるためならどんなことでもするようになり、患いを避けるためには何をやってもよいというようになってしまう。それらを自分自身の中で解決し、修める事を義と言う。つまり、義と言うのは、道徳、社会の調和、正義のことである。

仁=恕(じょ)=忖度(そんたく)
仁:人は二人、一人では生きていけない、
相手の立場になりなさい。
恕:相手のその心の如く、相手の立場になりなさい。
忖度:相手の心の温度を測るように、相手の心に寄り
添うように、相手の立場になりなさい。

この『仁』と、上に書いた『義』、社会の調和、筋を通す
ことが出来れば、信頼が生まれ、
信頼は、一致団結の和を産む。

この仁義の志が、定まったときには、その人の気魄(きはく)も識見(しきけん)も才能も、その働きを増すのである。

『志定まれば、気ますます盛んなり』である。

成功は、「天の時、地の利、人の和」で創られる。


2014年2月6日木曜日

易経の11番目「地天泰」と言うのは、人生の盛り上がり時の生き方を教えてくれる

昨日の易経の勉強は、六十四卦の中、
11番目に出てくる、『地天泰』

この卦は、天と地ちょうど、神道で言う
天津神と国津神の押し問答のような
卦で好きだ。

さらに、弟の名「泰三」の泰でもある、
なかなか意味が深く味わう卦である。
泰三は、特に、「三」の字が、さらに
天を表す卦で、地天天の名前と感じ
るから、好きなのかもしれない。

本来この八卦の天は上に上がるもの
地は、下に下がるもの。なので、この
上に地、下に天があるのは、それぞれ
の性質が、作用して、交わる。天と地が交わる。陰陽交わる、それゆえ、何事も
宜しくて、すらっと通る。「吉」である。その「吉」に「三」の天が加わるから
あいつは、「泰三=天吉=大吉」なんやろうーーと14年も離れた弟
の幼い頃からを思い出す。大吉な男だった。それなりに努力は繰り返してきた、
努力を継続できて、形にして来た男だ。

易経に話を戻す。地天泰のこの卦は、今書いたように、古事記に出てくる、
陰陽が交わる場面では、ちょうど天孫降臨、国譲りの場面ではないかと思う
天地が交わり、萬物(ばんぶつ)が生成(せいせい)
発展するのである。君徳(くんとく)が民(たみ)に
普(あまね)く行きわたり、民の意志が君に通じて
君民(くんみん)志を同じくして天下泰平となる
内面(うちがわ)=下の卦は、君子(乾)の徳を備え
て、外面にその光を現さない。内面に剛健な志を
抱き、外側は柔順に人に接する。

そして、易経の卦の一つは、六の爻(こう)で構成されておりそれが起承転結
のストーリーを作っている。 
地天泰は、陰陽の交わりで安泰するが、やがて陰陽消長の原理として、
安定から変化していく。その変化の前、
安定の絶頂期に『平常心』を持ちなさい
叱咤する文章が、ある。それを紹介したいと思う。

无平不陂、无往不復。艱貞无咎。
勿恤其孚。于食有福。

平らかにして陂(かたむ)かざる无(な)く、往(ゆ)きて復(かえ)らざる无(な)し。
艱貞(かんてい)なれば咎(とが)无(な)し。恤(うれ)うる勿(なか)れ、其(そ)れ
孚(まこと)あれ。食に于(おい)て福(さいわい)有り。
<訳>
安定した状態が永続することはなく、行ったきり帰らないことはない。
幾久しく安泰の時が続くと思い安逸に流されてはなら
ない天下国家に思いを馳せ艱難(かんなん)を乗り
越えて正しい道を固く守れば、咎められるような過失
は免れる。憂えることなく、至誠を尽くせ。
天から福を授かるであろう。

いやーほれぼれする味のある言葉である。『至誠』を尽くせ!
やはり仕事は、生き様は、至誠である。


2014年2月5日水曜日

自分の神棚

自分の神棚を持つと言う事は、私にとっては、親から独立して独り立ちすることだった。
結婚をして、家内と二人東京に住居を構える時に、初めて神棚を設置した。


当時は、祖父の時代から続く、父が社長として営む紳士服アパレルの会社の東京店の上を改装して、新居を構えた。2LDKの間取りに、客間として造った和室に自分の神棚を作った。棚自身は、東向きになるように工務店の方に壁に棚を作ってもらった。神棚自身は、昔、父の会社で使っていた古い神棚を貰い受け設置した。結婚して新居を構えたこと、親から独立して家族を持ち、そしてなにより自分の神棚を持てたことが嬉しかった。


神棚自身の御魂入れは、知り合いの神職にお願いした。
真ん中に、天照御大神
右側に、氏神様の鳥越神社(当時は、台東区台東に新居を構えた、鳥越神社のすぐ近く)
左側に、奈良の大神神社(三輪さん)
そして、神棚の外にはなるが、小さい時からの守り神、伊勢の猿田彦神社、
大阪の住吉大社、香川の金刀比羅神社、鎌倉の鶴岡八幡宮、のお札をお祀りした。


当時の私の師匠神職には、一日と十五日は、この祝詞をあげなさいと祝詞全集を頂いた
祓詞
六根清浄大祓
大祓詞
月並祭
家業繁栄祈願詞
祈念祝詞
伊勢内宮神前祝詞
稲荷大神秘文
仏説聖不動経
龍神祝詞
般若波羅蜜多心経
以上を毎月一日と十五日には、奉上した。そして、自分の神棚が持てた私は、嬉しくて毎日これらの祝詞をあげた。


自分の神棚を持ち一番良かったのは、自分が自分自身に問いかけて向き合う時間が持てたことである。 会社の事から、人生の事、夫婦の事、子供の事、すべて悩んだ時は一人神棚に向かい正座をして、時にはあぐらをかいて、長い時間過ごす。すると、決断すること、悩んでいることすべてが自分の中で解決できていくのである。


そんな時に思うのは、神棚にあるあの鏡である、古事記にも出てくる
天照御大神が、天孫降臨の際
「ニニギノミコトよ、あなたは、この鏡をわたくしの魂(たましい)だと思って、
わたしを拝むように、これを大切にお祀りしなさい。」
と渡された鏡と同じように、、神棚には、鏡があり、そこに向かい自問自答や祈念を込めていくこと、また感謝をすることが、大切なこと、これは、目には見えないが、蓄積される。神社に行くと、もっと大きな鏡があり、もっと長い年月、沢山の人々が念を入れ感謝の気持ちを伝えてきたんだろうなと考える。


祝詞の意味に興味を持ち、祝詞をあげることが日課となり、神棚の水を変えないと、朝食を食べることが出来なくなり、今年で15年。
神棚は、自分に向かう場所であり、自分の念を歴史として蓄積することができる場所。
自分と向き合える場所。 これからも大切に大切に向き合っていきたい。

2014年2月4日火曜日

梅の香り

『東風(こち)吹かば、匂い
おこよ、梅の花、主無し
て、春を忘るな』
菅原道真が、京都から、九州の大宰府
に左遷されるとき、道真の愛した庭の
梅の花に別れを惜しんで詠んだ歌
後に庭の梅木が道真を追って大宰府
に飛んできた、という「飛梅伝説」が
ある。京都を想い、大好きな梅の花の
香りを表現した詩です。

この『梅の香』、昨日の節分祭の日、
品川神社で、なるほど!これが
「梅の香」かと体験をしました

ご社殿の前の紅梅、
参道途中の白梅
そして、参道の階段右上の
蝋梅(ろうばい)と思われる梅の
花より柔らかい、優しい、花の香りが           
した。香りから、本当に、春を感じるん
だなと思いました。

昨日の節分祭が終わり、いよいよこれ
で、立春!春が来るんだ!と梅の
優しいで香りで思いました。特に、
昨日の日中の気温は、高く穏やかで
気持ちの良い日でした。

まじかで見た梅の花は、桜とは、また
違った花の付き方をして、可愛い花
だとも思いました。

梅の花にちなんだ話。昔、母の田舎
伊勢で、親戚の叔父さんに教えて
もらった、、、、

桃栗三年、柿八年、柚      
(ゆず)の馬鹿野郎十八年
、梅はすいすい十六年
                           
種を植えてから実を収穫できるまでの期間を指す言葉も思い出した。
本来は「桃栗三年柿八年」で一つ。
「物事は簡単にうまくいくものではなく、
一人前になるには地道な努力と忍耐
が必要だ」という教訓でもあるこの言
葉。柿は8年かーーと思いながらも、
美味しくて甘かった柿のその種を
小学校の頃、家の食卓で発砲ケース
に植えて、少し大きくなって、屋上で
すこし広い土に植えかえて、8年育て
て、ちょうど良いぐらいになった時、
なかなか実を付けなかった。                  
少しして、やっと柿の実が成った!と
思ったら、なぜか渋柿で、くやしかった
のを思い出す。

品川神社の梅、今週が、紅梅、
来週白梅が、見ごろと思いました。
是非近くに、行かれたら、参拝と
一緒に梅の香を匂ってほしい。

香を嗅ぐでなく、『匂う』と言う
のに、日本の美しさを感じます。

2014年2月3日月曜日

節分の懐かしい思い出

今日は、節分。節分は、今は
立春の前日をいう。もともとは、
立春、立夏立秋、立冬の四季
の分かれ目の前日を意味する
言葉が「節分」だった。立春が
一年で一番初めに訪れる節目
であったためか、新たな年の
始まりと考えられ、春の節分が
最も重視された。

豆まきをして鬼を追い払い厄を
払う。平安時代の宮中は「追儺
(ついな)」「鬼遣(おにやらい)」
といい、大晦日に行う年中行事
のひとつだった。

いつも、自宅で豆まき「福は内、鬼は外」と唱えながら、豆を家の内、
外にまいたが、小学校の頃は、「まだ、お父さんが帰ってきてない
から、鬼は外は、やめときなさい!」と言われて、いつも、「福は
うち、福はうち」しか、言わなかったことを思い出す。

豆をまいて邪気を祓い、最後に自分の年の数よりひと粒多く食べて、
年齢をひとつ重ねる。 三十歳を過ぎた頃から、これが八十歳になったら
豆だけでお腹一杯になるな、、海苔巻食べられへんやんか、、と
将来の心配をする。 

小学校の頃は、本当に家でよく海苔巻を作り、しかも切ったらアカン!と
言われて、のど詰めながら、しかも、しゃべったらアカン!と言われて
無言で、、、食べた。あーー懐かしい。

四十を過ぎてから、上に写真を上げた、「立春大吉日 急急如律令」と
書いて、鬼門に貼ったり、神棚に供えるようになった。
この『立春大吉日』の言葉だ大好きである。
『急急如律令(最初の急には、口へんがつく)』は、
これもまた厄除けの陰陽師のまじない言葉のようである。

立春大吉日
開運吉祥 和楽繁栄
健康長寿 養生平安

この言葉が大好きなので、今年はこれも豆まきの後に書こう!
今日は、品川神社での節分祭に奉仕に参ります。

2014年2月2日日曜日

和の演出

和のウエディングケーキに続き、最近要望が多い、和の演出!
入場のシーン謡曲『高砂』での入場はなかなか、盛り上がる。

 
 
神社での厳粛な挙式の後に、家族だけの会食会、親や兄弟姉妹、親族中心の
会食会となると、なかなか余興演出が難しい。
かといって、和の雰囲気に合う、余興は何かと悩む所。
そんな家族だけの会食会に、最近、獅子舞や大黒舞も余興として人気
 
獅子舞は、頭をかまれるとそれが邪気(厄)払いにもなると、言われ、また「この一年健康でいられる」と縁起もの。新郎新婦を始め、親戚の叔父さんや、年配の祖父、また、甥っこ姪っこまでが、喜ぶ演出の一つとなっている。
大黒舞は、これまた、新郎新婦をはじめとする御両家に福をもたらす。大国様。大きな打出の小槌から、『ご縁』玉が、ぴゅーぴゅーと飛び出てきます。「福よーこい、福よーこい。あーーめでたやーあーーめでたやーと」、紅白のリボンが結んだ、縁を結んだ、めでたいご縁玉です。参列の皆さまに福を分けてくれます!

和の演出は、まだまだあります「岡目とひょっとこ」や「芸者さん」
「餅つき」、「琴演奏」、「三味線演奏」

新郎新婦をはじめ、参列のゲストから家族が、
みんな喜び、元気になる余興。

幸せな家族を作るお手伝いやっています。

2014年2月1日土曜日

神様に何を祈ればよいのでしょうか

今日から2月です。          
如月(きさらぎ:旧暦二月で
もまだ寒さが残っているので、
衣(きぬ)を更に着る月であ
るから「衣更着(きさらぎ)」)。
「きさらぎ」と言うのは、なん
とも響きが良いですね。
梅の花が咲く時期で、春が
もうすぐと感じます。

先日1月26日日曜日の芝東照宮
にて行いました、良縁祈願参拝&
祝詞勉強会は、定員を多くオーバーして、36名
様の方にご参加頂きました、ありがとうございました。
最後アンケートを頂いた際、なんでもお書き下さい
と言うコーナーに、『神様に何を祈ればよいのでしょうか?』と質問を
頂きました。

良縁祈願参拝&祝詞勉強会の趣旨は、『神に手を合わす事』、『神棚(神)
に向き合い』、祓詞などの祝詞を自分自身で奏上して頂き、自分自身に
あるツミケガレを浄化して、本来の自分自身の中にある神を、この世に
生まれきた時に天津神から魂を頂き、国津神(父、母)から身体を頂き、
命を授けてもらった時の自分になる。
そして、天津神、国津神を味方につけて、運気を高めましょう!
お話させて頂いております。

神様に手を合わす時に、何を祈ればよいのか?
やはり、一番は、「神様に感謝する」ことなのだと思います。
天から頂いた命、ご両親から頂いた身体、今ここにいること、
健康であること、幸せであることを感謝することだと思います。
神棚、神さまにむかい、手を合わせ、「ありがとう」と心で念ずる事が、
一番大切な事です。

そして、祈り願うことは、謙虚な気持ちで、「神様にお願いする」
ことが大事と思います。そのことが、心の安らぎにつながると思います。

今日から2月、張り切って行きたいと思います!