2013年9月30日月曜日

大阪天満宮の摂社、故郷の産土神社、大将軍社

今日は、出張中の大阪からのブログになります。私の故郷、大阪市中央区昔は、
東区の産土神社さん
大阪天満宮の摂社、大将軍社です。

大将軍社さんのあった場所に大阪天満宮が
創建されたと歴史には残っております。
すなわち、この地のもともとの産土の大神
様になります。

産土=生まれし時の土地の神様。
産土には、自分の生まれた場所にとても関係
があります。同じ兄弟でも、産婦人科が、東京
や大阪の場合があると思います。
うちの夫婦の場合は、長男次男は、大阪で        
三男は東京で出産となりますが、
三人の産土神社は、その当時の両親
私たち夫婦の住んでいた住所からの縁で
産土神社が決まります。

それにともない、今日の話題は、大阪天満宮
の摂社、私の産土神社大将軍社です。

大阪天満宮の摂社、大将軍社の創祀は、
大阪天満宮の鎮座よりも二五〇年も遡る。
 大化改新を受けて、白雉元年(六五〇)に、
孝徳天皇は難波長柄豊碕宮(中央区
法円坂)に遷都された。        

これ以後、毎年六月と一二月の晦日には、
都への四方からの進入路上で、「八衢比古
(やちまたひこ)神・八衢比売(やちまたひめ)神・
久那斗(くなど)神」の三神を饗応(きょうおう)
し、「鬼魅(もののけ)」が都に入るのを防ぐ          
道饗祭(みちあえのまつり)が行われた。
当時の人々が最も恐れた鬼魅は疫病、特に
疱瘡であった。道饗祭において、疫神である
「八衢比古神・八衢比売神」と、異境の悪神を
避ける「久那斗神」を祀ったのは、そのため
であった。

大将軍社の創祀から二百年余り経った延喜
元年(九〇一)、菅原道真公は大阪天満宮
に参拝した後、太宰府へ船出したと伝える。
大将軍神は方伯神、特に西方を司る神
であったから、菅公も太宰府への西路の
無事を祈られたのであろう。
       
それから、さらに半世紀後の天暦三年(九四九)
のある夜、大将軍社の前に突如として七本の松が
生え出たという。松の梢は夜な夜な光り輝き、
時の村上天皇は、これを菅公に縁りの奇瑞として、
大阪天満宮を建立されたのである。
                                                              
この七本松も、当地が松林の広がる     
場所であったことを表現しているだけ
ではなく、梢が光り輝くことから判る
ように、やはり星辰信仰の影響を
受けた伝承だったのである。

大阪天満宮の摂社、末社の歴史も深く
今後も研究したい。
                                                                                    

時代背景があるにせよ、
陰陽道の影響や疫病、等の
民衆が苦しむ、さまざまな飢饉と
神社の役割や、神様に祈ることは
歴史があと考えました。

※大将軍とは、大将軍(たいしょうぐん
だいしょうぐん)は陰陽道において方位
の吉凶を司る八将神(はっしょうじん)の一。
魔王天王とも呼ばれる大鬼神。仏教での本地
他化自在天

古代中国では明けの明星啓明、宵の明星を

長庚または太白(たいはく)と呼び、軍事を

司る星神とされたが、それが日本の陰陽道に

取り入れられ、太白神や金神(こんじん)・

大将軍となった。いずれも金星に関連する

星神で、金気(ごんき)は刃物に通じ、荒ぶ

る神として、特に暦や方位の面で恐れられた。

大将軍は3年ごとに居を変え、その方角は

万事に凶とされ、特に土を動かすことが良く

ないとされた。大将軍の方角は3年間変わら

ないため、その方角を忌むことを「三年塞がり」

と呼んだ。ただし、大将軍の遊行日

(ゆぎょうび)が定められ、その間は凶事が

無いとされた。

 
 

2013年9月29日日曜日

稲荷の鳥居は、なんで赤いのかな?と気になり、鳥居を調べてたら、こんなに種類があるのか!と驚き。 皆さんはいくつ知っていますか?

稲荷の鳥居が赤いのは、どうしてかな?
と考えていると、鳥居は、なんなのか?
疑問になり、調べてみました。

神社に必ずある、鳥居、
神社神聖な場所に入る入口、
ここからは、神域と言う印。
地図上において神社のマークにもなる鳥居。

確かにそうです! 鳥居を通り抜ける
時に気持ちがすごく変わりますよね。

神社には一つもしくは複数の鳥居が続く
神社もある。複数ある場合は、最も大きい
鳥居が神域全体の入口として表参道入口     
に設けられる。

そして「一の鳥居」と呼ばれる。また続いてある
鳥居を二の鳥居、三の鳥居となる。

建築や祭神の性格に応じたさまざまな様式が
あります。単独の鳥居もあれば、玉垣や回廊
の出入り口と一体化しているのもある。

右の図のように、
 靖国鳥居
 黒木鳥居
 神明鳥居
 両部鳥居
 明神鳥居
 春日鳥居
 三柱鳥居
 三輪鳥居
 山王鳥居
 唐破風鳥居
 宗忠鳥居
 
 筥崎鳥居(はこさき)

代表的なものは、神明鳥居と明神鳥居と
思います。
神明鳥居は、鳥居上部の横柱が一直線。     
明神鳥居は、横柱が上向きに反っている。

また、両部鳥居は、あの美しい厳島神社や
箱根神社や海や湖の中に建っている鳥居
ですね。

山王鳥居も日枝神社で見ます。
山の神、大山昨神(おおやまくひのかみ)を
お祀りされている力強い鳥居です。


右写真に品川神社の龍が巻いている鳥居
これが一の鳥居、続いて二の鳥居三の
鳥居があります。

龍が、鳥居を巻いて登っていく様は、
すごく力強く感じます。

 
    
              
また摂社、阿那稲荷の赤い鳥居です。

そうそう、稲荷の鳥居は、なぜ赤いか
を調べてみると、稲や農作物が良く育つように
豊作をお祈りして、屋代を建てたお稲荷さん
の鳥居は、丹塗りの赤い色です。

それは、耕作に適した春の暖かさや、明る
く正しい陽気を招くと考えられたからです。

鳥居にも願いを込めて作られたのですね。

また、鳥居に注連縄(しめなわ)をめぐらした
場所は清浄なところという意味を込めて
います。


大崎居木神社の鳥居には注連縄が
あります。

神社の鳥居をもっと調べていくと
面白いと思います。


2013年9月28日土曜日

自分の家の家紋を知っていますか?  各神社には、同じく神紋(しんもん)があります。 神紋から神社の歴史を学ぶ。

神前式のお手伝いをしていると、新郎の羽織に
家の紋、家紋を付けます。 新婦様は、沢山
選べる着物があるのに、対して新郎の大事は
家紋のように思います

家紋は普段はあまり気にしていないけれども
結婚式の際に、写真に残せるまた自分の家の
ルーツでもある家紋を調べ、その家紋を羽織
に付けるのは、よいものです。

神社の紋章を神紋(しんもん)と呼びます。
神社の標識として社頭に掲げられること
が多いです。
祭神に関する伝承や、鎮座地、社名、神職の
家紋などによって定められる。
だから、神紋で神社の歴史を一部知ること、
勉強することもできます。

神紋の出現は家紋の出現とほぼ同じ頃と
考えられている。 平安末期までに縁起に     
まつわる神紋が一部の神社で用いられる
ようになった。

鎌倉時代にしだいに多くの神社で用いられ
ようになり、また家紋が神紋として取り入れ
られたり、逆に神紋が家紋となる例が出て
きた。

稲紋は、稲荷社が多い
巴紋は、八幡社が多く、一つ巴、二つ巴
     三つ巴と種類がある。
菊紋は、皇室の紋章であるが、明治十二
     年に官国弊社において使用が認
     められてから、これを神紋とする
     神社が急速に増えた。
桐紋は、豊臣秀吉が好み、各地の神社に
太閤桐を授けた。
葵紋は、徳川氏関係した神社が多い
      二葉葵、三つ葉葵がある。                   
梅紋は、菅原道真が愛好し天神社に多い
桜紋は、護国神社に多い
藤紋は、藤原氏の氏神社である春日大社
     に多い、

東京十社で有名な品川神社は、葵紋である。
これは、関ケ原の戦いにおいて、戦いに向か
う前に、品川宿のご祭神品川神社において、
戦勝祈願をし、勝利した徳川家康より
ご奉納頂いた「あかめん」と葵の紋が、
神社の歴史を後世に伝えるのだと思う。

それにしても、神紋は、綺麗で、
日本文化の美しさを感じます。






2013年9月27日金曜日

奈良にある三輪さん、大神神社に行ったことありますか? 『良い気』『元気』を頂きます。

奈良の桜井にある三輪さん、大神神社に  
行ったことありますか?

車で走っていると遠くからでも三輪さんだーと
すぐにわかります。
なぜなら、山の端が、この三輪さんだけ
でこぼことして、原生林がそのまま元気
良くすくすくと伸びているのが分かるから
遠くからみても右の写真をみてもすぐに
わかります。

大神神社は、ご神体が山全体(三輪山)
です。そのご神体の中に鳥居を
くぐって進んでいくのです。


主祭神は、大物主神(オオモノヌシ)です。
出雲の大国主神が国つくりの際、大和の
三諸山(三輪山)に祀った神。

大きな木の鳥居をくぐり抜けて参道
を歩くと、もうそこは神域って感じの
空気、透き通った空気、風、時間に
包まれます。 
玉砂利をずっと歩きながら
どんどんと清められていくのが分かり
ます。 身体でそうのように感じるのだ
から理屈はありません。
ただ、ただ参道を歩けること、お参りに
これたことに対して感謝の念、
「ありがとう、ありがとう」と心が言います。

手水舎の手前に、祓戸の神がおられます。
そこにて手を合わせ、祓詞を奏上します。
心で奏上します。

そして手水にて身体を清め。
いよいよ本殿への石段を登ります。


石段を上り切り、「ついたー」と感じる瞬間。
この本殿を見る瞬間が大好きです。          
屋根の上から隅から隅までが、どーーーん
と目に飛び込んできます。 美しい!

大きなお賽銭箱の前で、参拝にこさせて
頂けた感謝を述べ、沢山の良い縁を頂けて
いることの感謝を述べ、また健康で頑張って
いく決意をします。

本殿を拝礼した後、境内にある杉の木
樹齢なん年なのか、と言うほど大きいご神木
にお参りして、さらに山をあがっていきます。

ここからは、砂利道ですが、参道として先が    
あります。

本殿から左に進んでいきます。徒歩10分
ぐらいすると、狭井神社さんが、あらわれます。

狭井神社では、身体の健全とお水を頂きます。
三輪さんのお山、『ご神体』から頂くお水です。
すごく清らかで美味しい水です。
病気の闘病中の母に持っていった水でも
ありますし、元気なころの母には、よく飲ませて
頂いたお水です。

この狭井神社さんの横からご神体、三輪さんの
頂上へ迎える参道、山道があります。
時間の制限がありますが、頂上にいくことが
可能です。


『水』が、いかに神様、自然から、天からの惠かを
感じる場所です。

実は、この狭井神社の後ろ側には、
滝があります。
それも修業用の滝です。

修業用に水をためたため池のようなところから
水を出し、その滝として落ちてくるところに
おいて、滝行ができるように場所が作られ
てあります。

今から15年前の30代によく滝を頂きに行きました
それも夜中9時に神職の先生と二人で
懐中電灯を持って山道を登るのです。
恐かったです。

それよりもやはり滝が怖かった
水が、おそろしく冷たく、頭から滝を
いただくので、かき氷を食べた時に
起こる頭が、キーーーンという
状態になります。          
 
滝行のお話は次回します。    

是非、奈良の三輪さんへお参りください。

きっと「良い気」「元気」を頂けます。







 
 

2013年9月26日木曜日

『ムスヒ』、「ムスビ」、「結び」の力、縁を大切にする。 まさに、縁尋機妙(えんじんきみょう)である。

「ムスヒ」、むすび、結びの力、縁を大切にする。       

『ムスヒ』 神道事典によると、
産霊、産巣日、魂、産日、産魂などの表記もある。
天地・万物を生成発展させる霊的なはたらきを
いう。 と書いてあります。

さらに、ムスは生成発展する意味。ヒは霊または
神秘的なはたらきを意味する。
ムスヒの修飾語としては、高たか、神かみ、生いく、
火ほ、など多様なものがあり、ムスヒの観念の
幅広さを示している。

『古事記』で造化三神の一神である
タカミムスヒは、アマテラスが天の石屋戸に籠られ
たときに、子の思金(おもいかね)神に命じて大神
を還御(かんぎょ)させ、高天原に再び明かりを
取り戻した。
カミムスヒは殺された大穴牟遅(おおなむち)神を
蘇生させた。このことからもムスヒの神は、
衰えようとする魂を奮い立たせるはたらきをもつと
いう信仰があったことが知れる。

神々の生成をはじめ、万物の生成発展にかかわる神道では重要な概念で
ある。


 ※ 造化三神(ぞうかさんしん)
 「古事記」の冒頭に、天地初発のとき、高天原に成った神として出てくる三柱の神。
 すなわち
 
   天之御中主神(あめのみなかぬし)
   高御産巣日神(たかみむすひ)
   神産巣日神 (かみむすひ)
 のことである。

ムスヒ、結び 「結ぶ」ことで、新しい力を頂きます。
私たち人間においては、これを「縁」と表現しているように感じます。

目に見えない神の力により人と人が、「結ばれる」これを『縁』という。
良き縁を頂くために、自分自身が良き人になる。 
そして、良き縁は、さらに良き縁を尋ねて発展していきます。

人は、できるだけ良き縁を頂くために
  良い機会、良い場所、良い人、良い書物に会うことを考える。
  そのために、良い『気』の場所=神社(氏神、産土神社、鎮守神社)、仏閣(菩提寺)へ行く!

 縁が縁を産むこのような様を、『縁尋機妙(えんじんきみょう)』と言います。

2013年9月25日水曜日

般若心経で始まった高校の朝礼と清風魂

私の高校は、大阪の清風高校です。 毎朝
高校生約3000人、中学生約300人の
全校生徒が、般若心経をあげていました。

生徒手帳の前の方には、般若心経が
書いてあり、遅刻やその他の学校の
罰則は、般若心経の写経で、遅刻は、
写経3枚、朝の登校時に制服学ラン
の首のホックをしていないと、
1枚、その他罰則内容により、枚数
が異なりました。

私自身、高校時代に累計10枚は写経
したかなと思います。

今、神道の勉強をしている中で、高校時代を
思い出すのは、当時の学校教育方針に
いつの間にか、私は影響を受けていたのだと
言うことです。

当日の校長先生は、真言宗・高野山の僧侶でした。 ただ、宗教の感じをすることなく、
自然に毎朝の般若心経が、身につきました。3年間、毎朝なので、当然だと思います。
また、学校の屋上一番上には、清風神社がありました。主祭神は、天照大神で
伊勢の内宮より御魂を分けてもらっていると教えられました。

般若心経、高野山、真言宗と清風神社、天照大神の神様も仏様も大事にする学校だった
のです。でもよく考えると当時の自宅の環境も同じで、
仏壇があり、台所には、火の神様として、三宝荒神(宝塚の清荒神)、そして神棚のある
家だったので、とてもわたしには、違和感なく居心地のより高校でした。

林間学校も高校一年生は、薬師寺、
法隆寺へ行きます。
高校二年生は、高野山へ
そして高校三年生は、伊勢神宮へ
行きます。

そして、弘法大使の映画や話をよく聞きました。
歴史の勉強で学ぶよりも、この林間学校や
清風高校での授業がすごく面白かったように
今感じます。
また、国語や古文の先生は、ほぼ皇学館の
卒業の先生でした。

高校においても、自宅においても、宗教としての
仏教や神道を学んでいた感じは、なく、
日常の生活の中で、親の背中や、祖父母の行動において
自然に身についていった信仰心、いわゆる「サムシング・グレート(Something Great)」
の存在を信じていたように感じます。

お経は、今も朝、母の写真と仏さん(聖観音さん、お不動さん、阿弥陀さん)にむかい
水とお茶を供え、読誦します。
・観音経(妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五偈)
・不動経と般若心経
・浄土真宗の正信念仏偈
ローソクや線香の火を見ていると、母の背中を
思い出します。また、今日もがんばるかとなります。

約30年前の生活が、今に続くと考えると後30年で75歳。
もう一つの習慣として新しく人間形成をしていける時間なのだと
感じます。

日本の神道や明治維新前の日本人の生活習慣や信仰心を考えると
すると、やはり神道と仏教は、勉強せねばなりません。
日本人としての美しい伝統、両親や先祖を大事に、家を守る。
自分のことよりも隣の人や家族の事や、地域の人のために
出来ることを考える。
農耕民族の縦軸、横軸を作り、自分の我ではなく、
思いやりのできる日本人になりたい。
清風には、清風魂というのがあります。それが、
人から「安心される」と「尊敬される」と「信頼される」人物になる。』
です。
これからもこの精神は、忘れずに、明るく楽しく元気よく、実現していきたい。

2013年9月24日火曜日

崇敬神社は、ありますか?私が高校生の頃から、よくお参りに行った、住吉大社。

皆さん、崇敬神社さん、または、よく行く神社は、
ありますか? まえのブログに書いた
神棚の向かって左側、崇敬神社のお札を
入れます。

高校入試の頃、中学三年生の頃ぐらいから
よく、大阪の南にあります、住吉大社さんに
母と行きました。

大阪の谷町筋の南、あべのからチンチン電車
に乗って、住吉大社前まで行きます。
約40分、電車にゆられて、行きました。
一番の楽しみが、参拝終わってからの
駅近くのハンバーガー屋さんで、ハンバーガー
を母に買ってもらうのが、楽しみでした。

ある日、出発時間が遅くなり、住吉大社の近くに行った頃、
もう12時近く、お腹も空いていた私たち親子は、住吉さんにお参り
前に、先に食べようかと目の前のうどんやさんに入りました。
すると不思議なこと、さっきまでの青空が、急に曇りあたりは
真っ暗になり、雨が、ザァーザァーと本降りに降ってきました。
うどんが、目の前に出てしまった頃だったのですが、2~3口食べて
母が言いました、「住吉さんにお参りに来たのに、お参りもせんと先に食べたから
神さんが怒りはったんや!」
うどん屋を出て、母が、しきりに「すいません!先にお昼を食べて、、もうしません」
と言うや、雨はすっと上がり、あたりは元の青空になりました。

私は、こわーと思いながらも、いる、絶対に神さんはいてはると確信しました。

住吉大社さんを回るには、母の流儀がありました。
母には、霊感が強くあり、そのまた母の先生が
おられました。
住吉さんには、15か所のお宮さんがあるから、
ワンカップのお酒(日本酒)を15個と御菓子を
2種類ぐらい、一個一個袋に入っているやつ
そして、大きな水筒とお供えしたものとその
お下がりのお菓子を入れる袋と袋を2つに
分けていつもまわります。

右にある、住吉大社の境内図で説明します
まず、手前から、まっすぐに進みます
すると石でできた鳥居が、3つあります。
鳥居は、玄関やから、ちゃんと止まって
一礼して、お参りに来させて頂き
ありがとうございますと礼を言うねんで。

そして、太鼓橋を上がって、手水です。 まず、右手で柄杓を持ち、左手に掛けて、次に右手に掛けてそして再度持ち替えて、左手に水を頂き口をすすぎ、その左手を清める。
うさぎの口から水が出て、いいところやなと癒されます。  

そして、やっと門に近づきます、その際の階段を上るのも、
左によって、左足から登るんや、左で
のぼり、右足つけて、左で上り、、右足つけて、、

到着するのが、最初が第三の本宮さん、次に第四の本宮、第二本宮、第一本宮と回る。
お参りする時は、二拝二拍手一拝して、よくぞ、お参りにこさせて頂きましたありがとう
ございます。私は、大阪市中央区〇〇通〇丁目〇番地の川辺です。と名前を言いなさい
と、母はとにかく長い願いを一つ、一つのお宮で祈願しました。
第一本宮からは、外にでて、千年楠さんに塀の外からお祈りして、外にある弁財天さん、
ここは、芸やデザインの神さん、ドレスの事言うねんで、次に大歳社さん、おもどりおいとしぼしさん三輪さん、それからまた住吉の境内に戻り、若宮さんここは、戦いの神さん、五大力さん、ここの
神さんは力強いよ、、あっ徹ここは、ローソク立てよう、家族の全員分「お父さん、お母さん、徹、
尚子、友之、泰三、、、」 年取ってからは、孫や嫁さんの分もと15本や20本ぐらい立てた。
それから、海龍さん、楠 珺 (なんくん)さん、大きな大きな楠で、それを子供ながらに見上げる
だけで自分が大きく成った気がしました。
それから、薬の神さん、最後にお伊勢さん、住吉大社の中にある、伊勢内宮と書いてあり、丸い穴がある、この穴の向こうには、ちょうど伊勢の内宮さんがあるんやで、と一生懸命にお祈りしました。
                                   
大体すべての参拝が終わるころには、約2時間経
過していました。ワンカップのお酒はすべて
なくなり、水筒に移されています。つまりお参りが
すむとお下がりとして、お酒を水筒にうつし
家に持って帰って、料理などで使います。
良く、「徹、飲んでみ、お酒が甘いでーー、神さんが
飲むと甘くなるねん」と教えてもらい、確かに
舐める程度ですが、甘かった。

薬の神さんの前ではよくオカジとして、背中をトントン
とたたいてもらいました。

今このブログで、崇敬神社の事を書くつもりが、母の事を思い出しながら
書いた住吉大社。 懐かしくて懐かしくて、涙が出ました。

皆さんも氏子神社を始め、崇敬神社があると、田舎に帰ると、母のように温かく
迎えてくれますよ。 いつでも、どんなときでも、温かく。
神社に行こう!

おもどりおとし


2013年9月23日月曜日

氏神神社様は、どこですか? 私の氏神様は、生魂神社さんです。

皆さんの氏神神社様は、どこの神社ですか?
 

 私の氏神様は、大阪にある生魂神社さんです。

ところで、「氏神神社」、「氏神」ってなんでしょう?

神道事典によると、氏神は、本来は古代社会で氏を名乗る氏族(あるいは氏人)が祀った祖先神または守護神のことであるが、氏神を祀る集団の歴史的変遷により、現在では鎮守神、産土神(うぶすながみ)のいずれもが氏神と呼ばれることが多いらしく、

中世の武士団が荘園での居住性を強化していく過程で、その土地の神を氏神として祀るようになり、氏神を祀る集団の性格も血縁関係から地縁関係へと展開していき、
現在と同じように、土地の神である産土神と氏神が混同されるようになったそうです。

また同じ頃、もともとは特定の土地・建造物を守護するために祀られた鎮守神が荘園内に
勧請されることにより、氏神と鎮守神も混同されるに至ったようです。

産土(うぶすな)神は、生まれた土地の守護神。産土ともいう。

氏神、産土神、鎮守神は、近代では、同じ意味で使っている、自分が生まれた土地の神様
を呼ぶ。

お宮参りや七五三は、特に氏神(ここからは、氏神と産土神、鎮守神同義として使います。)
さんに安産を報告とお礼に参り、七五三では、子供の健康なる成長を報告、感謝しに参る。

小学校の低学年のころは、生魂神社の
神輿を引いてました、それは、おやつが
もらえるから、、と言うキッカケでした。

4年生になると、太鼓がたたけて
別の大きな神輿に乗れる。
小学校のころの神輿は、近くの公園から
スタートして、公園の中にトラックを入れて
トラックの荷台に神輿を乗せてその神輿
に乗る。これが同級生には自慢できて、
特に女子には、人気度上がるチャンス
でした!

そんな氏神さんとのご縁は、両親が作って
その両親は、祖父母が築いてくれて
あの時期があったことを今は大切に思います。

その氏神様、自分達の魂のルーツだと思います。
氏神さんについて、もっと知ろうと思ったのが、
だいぶ大人になってからだったが、子供のころに
お祭に参加して、必ず、初詣には家族で参拝して
その際に、お賽銭の入れ方や二拝二拍手一拝を教えてもらったこと
お祭で行っても、たこ焼き屋や綿あめや、金魚すくいの前に、まず
お参りをすませてから、、と言うことは、今も自分の子供たちに伝えています。

どうか、自分達の氏神さんを調べて、是非とも参拝に行ってください。
きっといつも私たちを待ってくれています。
会社をしている方は、その会社の氏神さんに参拝し、氏神さんを味方につけて
商売をした方が良い。 感謝の気持ちを伝え、その縁あって集まった仲間
スタッフと会社が組織となっています。
土地の神様、一族の神様、日本人の大事な「縁」、「血族」長い長い歴史を
越えてご加護頂いています。

 

2013年9月22日日曜日

神棚の祀り方 家庭に神様を祀り、家長がその姿を家の皆に見せるのが家庭円満の秘訣。

神棚を家庭に祀りましょう!

私の実家も今思い出せば、物心ついていた時からお祀り(おまつり)されていました。

毎朝母が、水を変えていたのを思い出します。また、その姿に疑問もなく、毎朝するものなのだと知りました。 夏休みや冬休みに母の実家(東大阪)や母の田舎(伊勢、宇治山田)の家に遊びに行くと同じように、お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、伯父さん伯母さん、大叔父さん大叔母さんがやっていたから、私も同じように手を合わせて、時には、朝の水交換をしていました。

右にある写真は、私の会社の神棚です。
実家のものや、田舎のものは、縦型のもっと大きなものですが、
会社やお祖父ちゃんお祖母ちゃんの家にあったものは、このように
天井の近くに棚を作り、屋代をおいて、昨日のブログにかいた、
神饌(しんせん:お供えもの)を供えます。

神棚にお札をお祀りする

右の写真のような三社神殿の場合、中央1、向かって右が2、左が3の順番となります。
そして、  1・・・天照皇大神宮、 2・・・氏神神社神札、  3・・・崇敬神社神札
の順番にお札をそれぞれのお社にお祀りします。


お供えもの(神饌:しんせん)

折敷(おしき)と言われる右の写真のような木の入れ物に、お酒、お米、塩、水をお供え
します。 基本は、毎日これらをお供えするのが、基本ですが、私は、お水の交換だけに
なっています。
お正月や、毎月一日や十五日、家族の記念日(入学式や卒業式、誕生日、入試の前日など)
にはいつもより沢山のお供えをしました。
昨日のブログが、参考になると思います。


米・酒・塩・水の基本のお供え、ほかには
海川山野のものを用意します。
米・酒・魚・野菜・果物・塩・水の順番で、
神前に中央からむかって右、
次に左、次に右、左と順番にお供えします。

写真は、洗っていないお米ですが、
洗米の方が良いという説もあります。


神殿を拝する作法は、二拝二拍手一拝

神拝の作法は、神社でのお参り時と同じです。
二拝二拍手一拝(にはいにはくしゅいっぱい)というのが基本です。
神前、神棚の前に進んで少し頭を下げてから、二拝(深くお辞儀をします、90度)
そして、次に二回拍手をし、次に一拝します。
神前、神棚を退く時には、また軽く頭を下げて、離れます。

二拝二拍手一拝の後、出来れば祝詞を奏上しましょう。
祝詞は、前のブログにご紹介いたしました、祓詞(はらえことば)をゆっくりと一文字一文字を
読み上げれば、心温まり、気持ちがすっとします。
今日も一日がんばろう!と思います。

一日や十五日の大事な日には、祝詞も増やします。

私の母から教わったものは、次の通り
一 祓詞
二 身滌大祓(みそぎのおおはらい)
三 大祓詞
四 月並祭
五 家業繁栄祈願詞
六 祈念祝詞
七 伊勢内宮神前祝詞
八 稲荷大神秘文
九 仏説聖不動経
十 龍神祝詞
十一 心経奉讃文 
十二 摩訶般若波羅蜜多心経
を奏上します。

大体、一時間ぐらい掛かります。
でもこれらの祝詞とお経をあげ終わった後はすごく気持ちよく
風が通り、家族皆がニコニコと、それぞれの夢にむかい
そして日々の生活に継続して行うこともすべては自分のため
家族のため、会社のため、国のためと教えられました。

家族一つになることがもっとも自分を強くし、また親孝行、ご先祖孝行に
なり、その自分の姿を子に見せることが、将来自分達が先祖になった時に
家の繁栄、国の繁栄につながるのだと教えられました。
神棚と仏壇を中心とした、家族の絆作りをしたいたのだと思います。

今になりそれを知り、両親と先祖に感謝する次第です。






 




2013年9月21日土曜日

神饌、お供え物は、どうしたらよい?

神饌=お供え物
神饌は、「しんせん」と音読する。神祇(じんぎ:天の神と地の神。天神地祇。)の聞食す御食事の
料である。神饌の「神」は「神祇の料」の意味であり、且又「神聖」の意味でもある。
古くは「御食(みけ)」、尊んで「大御食(おおみけ)」ともいった。

祭祀は、神祇に対し、衣(幣帛:へいはくー布帛)、食(神饌)、住(社殿)を備へ奉つて御存在同様
に「仕へまつる」ことであるが、中でも、神饌が第一であるから、「供へまつる」にあるとも言える。
即ち祭の守源が供物(くもつ)を案に載せた象形であるのでも知れる。

神饌は飲みものと、食べものとに分かれ、飲みものは水、酒(白酒、黒酒、醴酒にごりさけ、清酒)
など、食べものは、米(飯又粥)、餅、魚、貝、鳥、海菜、野菜、果実、菓子、塩などである。
是等の中で、欠くことの出来ぬものは、米・塩・水の三種である。

自宅にて神棚を設け、神饌を供える際、
酒、米、塩、水を基本として、日々のお供えをします。
私の場合は、毎朝、お水を新しくお供えをしています。

お酒、お米、お塩は、1日と15日の月2回交換してきました。
年に1回か2回は、月次祭を行います。
家の神棚では、酒、米、塩、水以外に、餅、海魚(白身魚:鯛、金目鯛、イトヨリ、等)、
野菜(大根、シイタケ、人参、なすび、ジャガイモ、アスパラ、ホウレン草等)
乾物=海菜(ワカメ、海苔、鰹節、とろろ昆布、高野豆腐、素麺、等)
鳥=玉子、果物を供えます。

そして祝詞です。
祝詞は、次回に説明致します。


2013年9月20日金曜日

祓い詞

祓い詞

掛介麻久母畏伎伊邪那岐大神筑紫乃日向乃橘乃小戸乃阿波岐原爾
禊祓閉給比志時爾生里坐世留祓戸乃大神等諸乃禍事罪穢有良牟乎婆祓閉給比清米給閉登白須事乎聞食世登恐美恐美母白須

掛けまくも畏き伊邪那岐の大神、筑紫の日向の橘の小戸の檍原に禊ぎ祓へ給ひし時に、生りませる祓戸の大神たち、
諸々の禍事罪・穢有らむをば、祓へ給ひ清め給へと申す事を聞こし食せと、恐み恐みも白す。

心に思うにも恐れ多い伊邪那岐の大神が、筑紫の日向の橘の
小戸の檍原で禊・祓なさった時に生まれ出でなさった祓戸の
大神たち、種々の災い・罪・穢れがあろうことを、祓い
なさり清めなさいませと申すことをお聞き届けなさいませと、
恐れ謹んで申し上げます。

一番上が、宣命体と言い、漢字の音と訓で表記する。
名詞や動詞の語幹には表意文字としての漢字(大字)を使い、
活用語尾・助動詞・助詞などには万葉仮名(小字)を用いる
このパソコン上では、大字、小字が分けられないのが
残念。

二番目が、読みやすく書きかえたもので、三番目が、
現代語訳となります。

祓詞は、祭に先立って行う。「修祓」のおりに唱える祝詞。
内容は、日本民族の祖神である伊邪那岐命の后神伊邪那美命が
火の神をお生みになり、火傷によって神去りなさった(おかくれになった)
そこで伊邪那岐命は黄泉の国(亡くなった人の世界)を訪問された。
しかし后神のなきがらを見て逃げ帰られ、「穢れた所に行って来たので
禊祓をしよう」とおっしゃって、「筑紫の日向の檍原」で禊祓を
なさった、という神話に基づいている。

「祓」は神社信仰の神髄であり、この簡潔な祓詞を唱えることで
神々によって清めていただくのである。
禊は更新の効果をもたらし、活力の源ともなる。




 

2013年9月19日木曜日

祝詞って何に?



「祝詞」ってなんだ?
これが、私の神職へのキッカケでした。

月並祭として、毎月の1日、15日に家の神棚に
お供えものをしているのを新しく変える。
通常は、お米、お酒、塩、水の4つを新しく変える。
もっともお水は、毎朝、変えていたが。

その月並の変えるタイミングに母は、
いつも「祝詞」をあげていました。

何を言っているのかわからない祝詞にすごく興味を持って、
祝詞の意味が知りたいと色々と本を探したが、
なかなか本に書いていることもわからなかった。

学生時代の20歳頃から一人暮らしが始まった私は、
下宿のアパートの本棚の上にお札をおいて
時に祈っていた。

本格的に自分の自宅に神棚を購入してマイ神棚を持つのは、
結婚して上京したころから。
年に2回ぐらい、神職に自宅まで来てもらい、月並祭を開いた。

祓詞、大祓詞、、般若心経まで 9の祝詞と1つのお経。
お経と祝詞は、少し勝手が違うな、
大祓詞は、長いなー
当時の正座がきつかった。

9年後平成20年頃に転機が起こる、
その頃には自分で月並祭を自分なりに、自分の神棚で行った。

平成20年に品川神社の宮司との出会いであった。
そんなに熱い思いがあるなら、神職になれば。
成程と思うがなかなか実行に移せなかった。

それから3年後平成23年にいや、祝詞の勉強、祝詞の意味が知りたいから
と大阪國學院の受験をした。 見事入学できた!
それから2年間の勉強は、仕事の両立でなかなかキツカッタが、すごく
楽しい時間であった。
正座もだいぶ長時間1時間ぐらい平気になった。
今年の平成25年4月卒業!

2年間、國學院で何を学んだのかな?と自分に問う。
答えは、やはり「祝詞」だった。 つまり、神道は「祝詞」=言霊(ことだま)だ。
45歳において、言霊という言葉は聞いたことがあったが、
日本人の話す言葉、日本語、大和言葉にはものすごい力がある、そのひらがな一つ一つに
意味があり、エネルギーがあるのだ!!

「ありがとう」と言う言葉で、人間の細胞が活性化し、『がん』が治ったということも
聞くように、ことば、あ、り、が、と、う と言う5文字にそれぞれに
パワーがあり、意味があるのだ。

その集合体の祝詞。 神に話かけることのできる言葉。 
祝詞は言霊(ことだま)の働きにより、神意を動かすことができる。
 
その表現形式には古来からの祈りの内容が凝縮されており、
荘重(そうちょう:おごそかで重々しいこと。)な
優雅な調べにより「感情」を振り起させるものです。
魂が震えるのだ!
 
祝詞の勉強 まずは、「祓詞(はらいことば)」から、、